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2017年11月25日01:21

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浄土真宗5.勢力拡大

仏教の研究書などでは
浄土真宗などの鎌倉仏教が隆盛を誇ったのはなぜか?
という問題について
さも当然のように当時の親鸞や空海日蓮などの創始者の謳う教えに人々が救いを求めたから
なんつー話になっているものが多い
まー 宗教者の立場からすればさもありなんみたいな感じで当然のごとく受け入れられるものだろうが
実際はいささか違う
少なくともおれは話が逆だと思っている

おれとしては
いわゆる非人と言われる人々が相当数存在し
彼らの多くが「法師」を名乗り
僧形で全国に散在していた
その彼らこそが 鎌倉期における仏教隆盛の原動力だ

非人と言っても士農工商穢多非人の非人とは少々異なる
つーか 何故に避妊かといえば 
もとい 何故に非人かといえば
神に非ざり人に非ざるもの これ非人だ
一応 建前としては人の上にある
神仏の直属民のことで
どこから来たのかといえば
多くは土地を捨てて税務を逃れた農民や
職人や芸能民だと言われている
網野先生がそう言ってたw
好きなんだな 網野先生
ちょっと政治臭がするけどw

実際には「そこそこいた」なんてレベルではないという説もある
10世紀初頭にはこの島の住人の2/3が法師であったという
ちょっと信じがたいが 吉田貞吉先生という方の文章にある
http://www.aozora.gr.jp/cards/001344/files/54856_49955.html
どこからどこまでを非人とし法師とするかは
かなり難しい問題なので軽々に答えは出せないが
田畠を捨て 「欠落ち」となった人々が物乞いで生きるにせよ
そう大量にいてはもらえるものももらえない
平安時代から鎌倉時代を通して
実際に僧がどれほどの人数いたのかは
未だ研究者の間でも不明らしい
しかし 僧形をしたものは都にあふれんばかりだったという
まー 乞食が「こつじき」であり
僧形のものに暴力を振るったりすれば祟りがあるとされていた時代のことで
日本霊異記の時代に相当数の説話がそれを書いていたことからも
物乞いをするなら僧形が向いていたのだろう

まあ この辺りを言い始めるとキリがないので
話を戻すが
相当数の「法師」は「非人」とも重なり
それらは神仏習合した当時の仏教にとって
ある時は暴力装置であり
ある時は勧進(集金)係であり
情報源であり
取り込めば一大勢力だ

元をいえば彼らの中にこそ
民間習俗の呪術師から陰陽師までいるわけで
仏教が言ってみれば彼らの職域に入り込んできたとも言えるわけであるから
仏教と非人が習合されていくのも自然だと言えるだろう

ちょうどその時代に南北朝の争いがあり
息も絶え絶えの律令は完全に崩壊していくわけだが
朝廷の権威というか許認可を寺社を通して建前としていた非人の多くも
そこで行き場を失いかねない危機となる
南朝についた熊野修験者なんかもその勢いを失い
その間隙を縫って全国に熊野の支配から外れた修験道が開かれることになる
そういった中で
政治の空白や大量の非人というシンパを抱えた仏教側も
宗派の勢力拡大を通して教団維持を図る方策を練ることになる

言ってみれば
生業としての仏教というものが本格化するわけで
おとなしく仏の道を説くなんつー暇はなくなってしまったわけだ
一番手っ取り早いのが
仏教の「呪術化」だっただろう
意識してか否かに関わらず
宣伝して歩くのは農作業に縛られない非人だから
図らずもそうなるのは必然と言っていい

そういった流れの中に
浄土真宗もあったわけで
親鸞がいかように情けなく思ったとしても
やはり数は力であり数は金だ
諸宗派同様信者獲得に走らねば食扶持にも困るし
負ければ乞食坊主となるw
しかも 呪術を背景とし祖霊崇拝をものにした仏教に
宣伝係から戦力まで揃ったわけだ
まー ちなみに
その頃の坊主は相当気が荒いw

その辺りが 鎌倉時代を通しての
日本の仏教勢力の拡大の経緯だと
おれは思っている
別に宗派の教義なんぞどーでもよかったわけだw

まー 実際はそのあたりはこれからの歴史の課題になるんだろうけど
そうは間違ってないと思う

続く
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