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2017年10月03日22:59

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(171)

78年7月27日、サマー・ファイト・シリーズ最終戦、日本武道館大会は観衆は8700人発表と満員マークはつかず。

ボブ・バックランドvs猪木のWWWFヘビー級選手権試合と藤波vs剛竜馬のWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合の初のWWWF2階級タイトル戦の同時開催でしたが、バックランドvs猪木は6月1日に同所で対戦して以来、まだ2か月経っておらず、同一カードでの再戦はいささか性急であったかと考えます。

また、国際プロレスを退団した剛竜馬に関しても、ヒロ・マツダの指導の元、肉体改造等変貌を遂げていることは予想出来たものの、昇り調子にあった藤波にいきなり勝つのは難しいと思われました。

剛の新日本プロレス出場を前に、国際プロレスでは吉原功社長と顧問弁護士、鈴木利夫取締役総務部長(リングアナ)が同席して記者会見を行い、「剛は国際プロレスとの契約が残っており、新日本プロレスへの出場は契約違反、出場停止の仮処分を東京地裁に申請した」と発表していました。

剛が国際プロレスを退団表明し、フリーになった経緯については前に書いた通りですが、74年のストロング小林に続く新日本プロレスからの事実上の引き抜き行為には我慢ならない、と言った感じでした。

力道山直系である新日本プロレス、全日本プロレスは相撲社会の流れを組むいわゆる徒弟社会でありこの時代は契約書で選手を拘束することは先ずなく、また「退団」自体が珍しい時代でした。

アメリカのプロモーション形式を目指していた国際はいち早く契約書の作成に着手、S小林の退団に際し契約書を縦にフリー宣言無効をアピール。

結果的に猪木vsS小林戦の主催者に名を連ねていた東スポの井上博社長の英断で1000万円の「移籍金」を国際に支払って猪木との試合が実現しています。

新日本プロレスがS小林を移籍させたメリットは国際のエースが猪木の軍門に降った、というのみならず、70年代前半高視聴率番組を多数抱え、「民放の雄」と言われていたTBSに登場していたことが大きかったと言えます。

TBSのプロレス中継は放送時間がコロコロ変わり、30分に短縮されたりもしましたが、ネット局数では新日本を放送していたNETを凌駕しており、猪木、坂口が知名度が高かった理由は日本テレビと並行して出ていた部分も大きかったです。

その為地方ではS小林は名前が知られており、地方興行におけるメリットが大でした。

しかし、TBSの放送打ち切りから早4年経過し国際は関東ローカルの東京12チャンネルの放送。放映権料収入も減少、国際としては少しでも金銭が欲しかった、と思われます。
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