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2017年09月12日19:01

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[100分de名著]〜大岡昇平著『野火』

NHK-Eテレのシリーズ[100分de名著]、8月は大岡昇平の『野火』が採り上げられた。
8/7〜28の毎月曜日、全4回。
指南役は島田雅彦、朗読は劇団ハイバイを主宰する岩井秀人。
2015年にこれを映画化した塚本晋也も第4回にゲスト出演した。

各会のテーマは以下の通り。
第1回「落伍者の自由」
第2回「兵士たちの戦場経済」
第3回「人間を最後に支えるもの」
第4回「異端者が見た神」

『野火』は高校の時に読んでいるが、殆ど記憶に残っていない。
今回の島田の解説は、素晴らしく沁み徹った。

大岡昇平(1909-88)は、太平洋戦争終結の前年、1944年3月、35歳で召集され、同年7月、暗号手としてフィリピン・ミンドロ島に送られた。
既に制海権,制空権を米軍に奪われ、大岡の乗った船の後を航行していた運送船は、潜水艦に撃沈させられた。
大岡等はミンドロ島に上陸するものの、同島の日本軍は、米軍の圧倒的な戦力を前にして、僅かな飛行機を特攻させる程度で、その目的は組織的な攻撃でなく、玉砕、または時間稼ぎであったと言って過言でないだろう。
日本軍は山岳部に敗走し、飢餓と疫病に苦しみ、更に地元ゲリラとも戦わなければならなかった。
既に勝利はあり得ない、死を前提にした悲惨な戦闘だった。
翌1945年1月、大岡等は米軍の捕虜となり、レイテ島の施設に送られた。

島田雅彦によれば、大岡が所属したミンドロ島サンホセ(サンノゼ)警備隊60余人の内、生き残ったのは兵士2人,下士官3人のみだった。その中の1人が大岡である。レイテ島の戦いでの日本兵死亡率は97%だったと言う。

奇跡的に生還した大岡は、戦後1951(昭和26)年、この尋常ならざる経験を活かした小説『野火』を発表する。
主人公「私」はレイテ島に送り込まれた田村一等兵で、小説はそのモノローグという形で成っている。
同島で生死の間を彷徨った様を、「私」の自意識を通して、見つめ、語っている。
極限状況下にある人間の意識に焦点は当てられており、戦争文学の金字塔と称されたが、戦争ドキュメントという類とは違う。

先に書いたような末期的な戦争下において、田村一等兵は肺病となり、部隊を追われる。ところが、野戦病院には食糧もない状況で、彼は入院を断られてしまう。その間に、米軍の砲撃の為、陣地は崩壊、部隊もバラバラに。
田村は独りジャングルの中を当てもなく逃げ惑う。

極限状態に居続けると、人は普段とは全く違った原理によって衝き動かされるようになる。
かつてはキリスト教信者でそれを棄てた経験のある田村だが、再び信仰心が芽生えようとする。
だが、地獄と言うべき現実の中で、その神は平時のそれとは違う。

煙草等、希少物を持った者が幅を利かせ、偏頗な経済が成り立っているのを田村は見る。
田村は現地人を衝動的に殺し、その家から塩を見つけた。その塩が、経済価値を持つ事を知った。
生き残った兵隊達は、そうした経済下で衝き動かされ、まともな人間性を失っていく。

ジャングルを進むと、打ち捨てられた兵士の死体を発見する。
次々と見つけるそうした死体は、何故かどれも臀部の肉が削げ落ちている。
田村は奇妙に思ったが、孤独と絶望の中で奇妙に「醒めた目」は、それらが人肉食のせいである事を知る。それは、彼自身が、その肉を食べたいという欲望にかられた事で気付いたのだった。
田村は、自分が獣になりかけている事を自覚した。
支え合うのが軍隊だと思っていたが、今や互いに殺し合うのが日常と化していた。

その先で、死を目前にして濁った目をした将校に出遭う。男は寄ってくるハエを払いのけつつ言う、オレが死んだらここを食べてもいいよ、と、自分の二の腕を指す。
間もなく、男は、その通り死んだ。
田村は男を引き摺って樹陰に入り、ナイフを出した。
生きているものを殺して食べるのは罪だが、死んだものを食べるのは罪ではない、等という論理が、彼の頭の中を支配する。
ナイフを男の二の腕に刺し込もうとした刹那、自分の左手がナイフを持つ右手を握った。

それを果たして「制した」と言っていいものかどうか判らない。
田村の心の奥底に潜む「良心」だったのか?人間性のカケラだったのか?
田村は、フィリピンの自然の中に「神」の姿を見たような気がした。
倫理とは何か?
信仰、または宗教とは何か?

小説『野火』は極めて多層的テーマを孕んでおり、様々な読み方ができる。

孤独、飢餓、病、死、人間性に何の価値も見出せない極限状態の中で、日本兵が同胞の肉を食らうという場を体験した田村は、戦後、帰国し、狂人と見なされ精神病院に収容させられる。
本当に気が狂っているいるのは誰か?

島田雅彦は、宗教的な普遍性をこの小説の中から読みだす事も可能だと語った。
その発言部分を書き留めておきたい。

「田村はキリスト教のコンテクストの中でこの経験をしているのではない。
異端者の側から信仰や神の問題を考えるという事が、『野火』の核にはある。
バールーフ・スピノザ(1632-77)というオランダの哲学者がいる。デカルトとほぼ同じ時代の人物。
彼の立場は非常に独特だ。
彼自身はユダヤ人。あの時代のユダヤ人というのは、皆強制的にキリスト教に改宗させられていた。
そういう中にあって、彼は改宗に応じず、かと言って、ユダヤ教の信者でいる事も拒否。どちらでもない。言ってみれば、何れからも異端的な立場に立って、神を考察した。
彼の結論は、神とは自然の一部である、という事。神=自然である。
自然とは、田村の身の回りに広がるジャングルの事でもあり、あるいは、状況によって行動に変化を来たしてしまう人間の本性でもあり、あるいは、あらゆる出来事の偶然の積み重ねによってある方向に向かわされてしまう運命的なメカニズム、それも自然である。
これらをできる限り緻密に考察しようとする事、それを信仰の問題として捉えている。
大岡昇平は、そういう意味で、特定の宗教の教義に適うような形で倫理の問題を考えたのではなく、それを超越し、極限状況の中で人はどのように神を発見するのか、運命を考察するのかを考察した。大岡は、この小説を書く事で普遍的なものに辿り着いたのではないか。」

以下の数行は、島田の発言ではない、私の感想である。
神は卑小な人間の人格の投影でもなければ、益してや都合のいい御利益を与えてくれるものでもない。
例えば、自然災害も死も、人間の希い等無視してやってくる。
神は一切人間の祈り等聴かず、助けてもくれない。ただ人間が神を必要としているだけだ。
自然災害や死を、神の人間に対する試しや試練だと考えるのは、ちっぽけな人間の自由である。


『野火』というタイトルの由縁となった”野の火”との遭遇場面がラスト近くにある。
「夜、なおも雨が降り続ける時、私は濃い葉簇の下を選んで横たわった。
既に蛍の死んだ暗い野に、遠く赤い火が見えた。」
それは何か判らぬが、またたいたり、暈になったりした。
ある日、その火は揺れながら私の方へ迫ってきた。
「私はその火を怖れた。私もまた私の心に、火を持っていたからである。」

“心の中の火”とは何か?
島田は言う。
「野火の映像の中に、戦争の記憶が全部凝縮されている。
この記憶は(何度でも)フラッシュバックする。
戦争というのは、戦争が終わった段階で終りではない。
生き延びた兵士達が帰還する。これだけの経験をしているから、精神的外傷は物凄く大きい。田村も、復員後、精神病院に入院する事になる。それこそ、個人的な戦争が戦後もずっと続く。
だから、心の傷が深い人は戦争の事を語れなかった。
ところが、大岡昇平は、『野火』や、後の『レイテ戦記』全3巻(1971)という形で、その体験、自分の体験だけでなく戦死していった多くの人達が何をしていたか、どのように死んだか、全ての事実を集め、記録し、残すという事をやった。」

NHKの番組「大岡昇平 時代への発言」(1984)の中で、大岡はインタビューに答えている。
「私は、こうやって皆が現に楽に暮せるならば、忘れちゃって、別に咎めようとは思わないし、人間はそういうものだ。
死んだ人間はまたそれでいいと思っていると思うんだけれども、ただ、このまままた酷い事になるというところに引っ張っていくというんじゃ、彼等も(レイテだけで10万人死んでいるが)浮かばれないだろう。
政府が勝手な事をするのに対して、ノーと言い続けるのが文学者の、つまり我々の役目であって、どうしても、オレは(ノーと)言う。」

これを聴いて、島田は、
「帰ってきた事の自分の責任、それを果たさなければならないという思いだろう。
戦争を進めたいという人達も、戦争に反対する人達も、戦争の実態を知らない。
それを知るよすがが殆どない中で『野火』というのは、ひとつの救いだ」と。

小説『野火』が書かれたのは1951(昭和26)年。
朝鮮戦争を背景に、アメリカの要求で、日本の再軍備が議論された時だった。

『野火』の最後近くにある田村の言葉、
「この田舎にも朝夕配られて来る新聞の報道は、私の最も好くしないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。
現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたいらしい人達を私は理解できない。
恐らく彼等は私が比島の山中で遇ったような目に遇うほかはあるまい。
その時彼等は思い知るであろう。
戦争を知らない人間は、半分は子供である。」

1958(昭和33)年、銀河丸がフィリピンに向かい、遺骨収集の旅に出た。
そのニュースを聴いた大岡は、ミンドロ島で死んだ仲間達に詩を一遍書いた。

「おおいみんな、
イトウ、シンドウ、アライ、クリヤガワ、イチキ、ヒラヤマ、それからもう一人のイトウ、
サンホセで死んだ仲間達、
練習船 銀河丸がみんなの骨を集めに、今日東京を出た事を報告します。
あんな山の中の骨迄、どうせ届きはしないが、サンホセの石だけは持って帰るという事だ。
形式的でも、みんなうちへ帰れるんだ。
帰るのは帰らないよりはマシなんだ。
そう思って、みんな喜んでくれ。
うちへ帰って、おお威張りで仏壇に座れ。
そこでひとつ頼みがある。
ひとつ化けて出てくれ。
あれから13年、あんな酷い目に遇わしておきながら、
また兵隊なんていやな商売をつくろうとしている奴のところに、
化けて出てやってくれ。」

戦争をしたがっている政治家、思想家、歴史修正主義者の連中、それらに乗せられ、戦争の実態を知らずに戦争を美化して酔っている連中が何と増えている事か。
日本はいつの間にか兵器を海外に売ってよい国になってしまった。
理屈をくっつければ海外派兵も可能な国になってしまった。
非核三原則も、9条改正も、今や風前の灯だ。
『野火』が書かれた頃より、日本の状況は数段悪くなっている。
大岡がこの状態を見たら、どう言うだろうか。

『野火』を特に若者に読んでもらいたい、戦争の地獄を知って欲しい。
好き好んでまたそんな地獄を招き寄せようとするのは、やめにしよう。
 
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