死後に生きる世界がある方が望ましいならば
その存在を信じるだろう
生まれ変わりがある方が望ましければ
それもまたそうなる
望ましいと思う方向の言説が力を持つ
あるいは
死ねばそこで全てが絶えると考えた方が望ましいなら
そういった話が力を持つだろう
なんにせよ
この島の多くの住人にとって
死後はいかなるものかはさほどの関心事ではない
いや 多くの人間が宗教的な死生観に望みを託したではないかと反論はあると思う
関心がないとは経典宗教との比較であって
ある一定の戒律を守らなければ自分の死後が保障されないというような
現世での法規範のようなものがないという意味だ
宗教的規範が緩やかであるというのは
アジア的な特徴で
宗教がキリスト教やイスラム教のように生きる上での重要な規範とはならない場合が多い
実際に様々な天国地獄の描写があっても
それが社会全体の規範となるには弱い
なぜそうならなかったかと問うよりも
全能の神との契約を行う宗教が非常に特殊であったと考えた方が早いだろう
我々には彼らのような「死後のあり方」は差し迫った問題としては必要性が低い
死後の世界を信じなければ永遠に欲望は満たされないとするような
絶対的な前提を共有する必要性がない
したがって この島の住人にとって
死後の世界は 半ば娯楽でしかない
そして こういった状況は
絶対者からの自由を与え続ける
生きている限り逃れようのない神との契約に沿って生きる必要はないのだ
キリスト教圏としてのヨーロッパに
この自由が伝えられたのは近代以降だ
そこから後 ヨーロッパは神のくびきから脱する哲学を構築し
近代哲学が生まれ
学問の世界で神は死に
人が人としてあらゆる意味で自由になる
いいか悪いかは別として
我々にとって
死後の世界がさほど重要な問題ではないということは
神的絶対者から自由であるということであり
超越者より自由を選んだということでもある
まあ
「図らずも」という物語り付きだがw
この島の住人が 心の底で
「どーせ死ねば終わりよ」とタカをくくったところがあるのは
実証主義的な検討の結果ではない
その方が望ましいからだ
そうあらねばならないと望んでいるからで
生き方について
死んでからまで罪を背負う重圧から逃れるためだろう
それが許される社会だったわけだ
今後 どうなるか知らんけどw
■【夏はオカルト】死後の世界は本当に存在するのか 死にかけた祖母が三途の川を見た話
(キャリコネ - 07月29日 15:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4692390
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