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2017年05月28日21:10

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(44)

山本小鉄から投げつけられた赤のショートタイツを受け取った上田馬之助は一旦控室へと退場。

タイツ姿に着替えるや、リングに上がり小鉄との「番外試合」。場外で小鉄のコーナーポストからのダイビング・ボディプレスを自爆させた上田は鉄柱に小鉄の額を一撃。

これでパックリと額を割られて流血した小鉄は戦意喪失したか、上田はパンチを小鉄の額に連発、ダウンした小鉄を尻目にリングから立ち去っています。

この番外戦はゴングも鳴っていないので試合ではなく、もちろん勝敗もありませんでしたが内容的には上田の一方的な勝利に終わりました。

テレビでも放送されず、公式記録にも残っていない、会場にいたものだけが見ることが出来ました。別冊ゴングとプロレス誌の76年11月号のモノクログラビアに少しだけ掲載されています。

試合ではありませんでしたが新日本プロレスの鬼軍曹、小鉄をKOしたことで上田もまた、猪木との対戦の機会を得られる距離がグッと縮まった訳です。

セミファイナルは坂口、ストロング小林組がビル・ドロモ、ブラックジャック・モース組を2-0のストレートで降した後、メインイベントは猪木とアンドレ・ザ・ジャイアントによるレスラー同士による格闘技世界一決定戦です。

立会人としてニューヨークWWWF代表ビンス・マクマホン・シニアが来場しています。

これまで猪木とアンドレのシングルマッチでの対戦成績は猪木の1敗1分。

東京の大会場での対戦はなく、アンドレが初めて新日本に来日した74年のビッグ・ファイト・シリーズでは最終戦の3月19日、蔵前国技館で対戦が予定されていましたが国際プロレスを退団したストロング小林が猪木に挑戦し蔵前での対戦はなし。

その4日前の3月15日、岡山武道館でのテレビ生中継で両者はノンタイトルで初対戦。アンドレのマネージャー、フランク・バロアがリング下から猪木の足を掬って転倒させてアンドレがジャイアント・プレスを決めて20分19秒体固めで猪木がフォール負け。

猪木はS小林との大一番を前に左足を痛めてしまいました。

アンドレは、S小林の退団、3月に凱旋帰国が予定されていた大剛鉄之助の交通事故、6年3か月続いたTBSの放送打ち切りとアクシデントが続き経営危機に直面したかつての古巣、国際プロレスのピンチを救わんと、6月25日、後楽園ホールで開幕したビッグ・サマー・シリーズ前半1週間に友情参戦。

その後11月には再び新日本の闘魂シリーズ第2弾後半戦に特別参加しました。

この時も最終戦の12月12日、蔵前国技館で3月に猪木に敗れた後、アメリカWWWFで修行し凱旋帰国を果たしたS小林が再挑戦し東京での対戦はなし。

シリーズ終了後に行われたブラジル遠征シリーズの初日、12月15日、サンパウロ・コリンチャンスタジアムで猪木はNWF世界ヘビー級王座を賭けて対戦。

猪木がキーロックをかけたまま両者もつれて場外に転落、19分31秒、両者リングアウトの引き分けとなっています。

75年5月のゴールデン・ファイト・シリーズはアンドレは前半3週間の特別参加で猪木とのシングルは組まれず。

そう言った意味で80年前後を境に乱発傾向となった猪木vsアンドレ戦もこの時は「溜め」が十分にあり、カードとしては新鮮味もあった訳です。
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