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2017年04月15日20:34

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ファンタジープロレスの巨匠桜井康雄さん追悼(4)

ストロング小林がフリーになって馬場、猪木に挑戦状、のニュースは当時話題を呼びましたが馬場は受ける訳もなく、猪木がこれを受諾、74年3月19日、蔵前国技館で猪木vsS小林のNWF世界ヘビー級選手権試合が実現しました。

これは後に新日本プロレス側の引き抜きであったことが判明しますが、ここ数年発刊される文献の中には、国際プロレスの取締役でマッチメーカーだったグレート草津との確執により、吉原功社長も草津の意見を聞くようになったことでS小林と吉原、草津ラインの関係に修復不可能な溝が出来てしまっており、「悪いのは草津で、S小林が辞めたくなるのも理解出来る」という風潮に変わって来ています。

猪木の新日本、馬場の全日本という力道山が作った日本プロレスの流れを組む団体はこの時代契約書などは作っておらず、徒弟制度みたいなものでした。

それでも辞めることなど滅多になく、辞めても他に行く団体などなかったのが実状でした。

早稲田大学卒業の吉原と在米フリーのヒロ・マツダにより設立された国際は当初はプロダクション的カンパニーを目指していたこともあってか、契約書の作成には一早く着手しておりました。

S小林が国際と交わした契約書には「契約を解除した場合には違約金1000万円を支払うこと」と明記されており、S小林は1000万円、国際に支払わねばなりませんでした。

東スポの井上博社長は「プロレス界発展の為」と1000万円を肩代わりしS小林を新日本のリングに上げた訳です。

晴れてS小林はフリーの身で新日本のリングに登場、蔵前国技館は16500人発表(超満員)の観客が詰めかけました。

試合もスリリングな攻防となり、29分30秒、猪木が伝説となった「首でS小林の全体重を支えたジャーマン」で勝利を飾りました。

その前の新日本の東京でのビッグマッチ、ジョニー・パワーズvs猪木(73年12月10日、東京体育館、NWF世界ヘビー級選手権試合)が6500人発表だったことを考えるとこの一戦はプロレス人気が復興する起爆剤だったことは明らかでした。

桜井さんはこの試合を解説しており、試合中に猪木がS小林をパンチで失神させてしまった場面で実況の舟橋慶一アナが「パンチが顎にヒット!」というのに呼応して「顎ですねぇ!」とエキサイトしていました。

また、試合後半、場外戦で猪木がS小林の鉄柱攻撃により額から流血、場外から上がって来たところをS小林はエプロンにいた猪木にブレーンバスターを仕掛けましたが、この時も舟橋アナと声を合わせて、

「危ないっ!」と絶叫していました。

桜井さんはどちらかと言うと資料を細かく調べて喋るタイプではなく、完全に閃きタイプ。勿論、何を喋るか、原稿位は準備しているでしょうが、ボキャブラリーの豊富さとインパクト勝負の解説でした。

クールな日刊スポーツの鈴木庄一氏とは対照的です。

選手を「猪木君」、「坂口君」と「君づけ」で呼んでいました。(普通は呼び捨て。これは文献や実況等と同じで「さんづけ」するとかえっておかしくなる。)桜井さんより明らかに年長の大木金太郎を「大木君」と呼んだのは当時びっくりしましたが、「プロレスの記者とは偉いものなんだなぁ」と子供心に感じました。

この「君づけ」は現在も元東スポの後輩、柴田惣一氏が引き継いでいます。

74年6月26日、大阪府立体育会館。猪木vsタイガー・ジェット・シンのNWF世界ヘビー級選手権試合。

60分3本勝負の1本目は11分25秒、両者リングアウト、2本目に入ると場外戦の際、リングサイドにインド人風の衣装を着た男性が姿を現し、テレビカメラに映る位置に映りました。

見る限り「仕込み」ではなさそうです。

舟橋アナ「リングサイドにインド人風の観客が現れました。シンの応援でしょうか?」と新日本側の仕込みを想像させるような実況。

桜井さん「関西在住のインドの方(かた)ですかね?」

まあ、ごもっとも…。

試合はクライマックスに入り、怒りの猪木はシンの左腕にリング中央でショルダー・アームブリーカーを連発。

さらにシンの左腕を鉄柱に打ち付けます。場外でうずくまるシン。異常を察してカール・フォン・ショッツが入って来て9分46秒、猪木がレフェリーストップ勝ちで王座防衛。

俗に言う「腕折り事件」でした。

桜井さん「何か、こう…腕が折れたようですねぇ!」
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