1月にサイレント・コメディの上映会に行って久しぶりにサイレント映画を見たんですが、そのころマイミクさんが私とは無関係に友人ら勧められたと言ってバスター・キートン自伝を読んだことを日記にしていました。これがシンクロニシティというものでしょうか。
その日記を見たら、バスターキートンの自伝がとってもおもしろそうで、読んでみたいと思いました。
それでアマゾンを探してみたんですが、やはり多読をしているからには原書で読んでみたいと思いまして、アメリカのアマゾンで探しました。そうしたらあっさり見つかって、すぐに届きました。
原題は
My Wonderful World of Slapstick
しかし、その時ちょうどLand of Storiesという分厚い本のシリーズを読んでいたので、それが読み終わるまでおあずけ。それが終わってやっと読み始めました。
Land of Storiesがとても読みやすかったし、多少は英語を読む力も上がったかと思いましたが、これはちょっと難しかったです。たくさん飛ばしたので、やはり日本語を読んだ方がよかったかと思ったりもしました。しかしやはりキートンの人生はおもしろくて、てこずりながらも読んでしまいました。
バスター・キートンの両親はボードヴィルの芸人でした。子供の時から両親と舞台に立ち「The Three Keatons」として活躍しました。しかしその舞台がかなりバイオレンスで。サイレント映画を見に行った時の感想でも、当時のドタバタコメディがかなりバイオレンスだと書きましたが、倫理観が今とは違っていたんですね。キートン親子の持ちネタが、お父さんが子供のバスターをぶん回す「人間モップ」。しかも舞台の様子を読んでいたら、何度も「投げる」という言葉が出てきて、読み間違いかと思うぐらい。今なら児童労働と児童虐待だとみなされて無理ですねえ。でもこの時からキートンのドタバタコメディの才能が芽生えていたようです。
大きくなったバスターは両親から独立してブロードウェイの舞台に立つようになりますが、そこでサイレント時代のコメディのスター、ロスコー・アーバックルと出会って映画出演を勧められます。
そうしてチャールズ・チャプリン、ハロルド・ロイドと並んでサイレント時代の3代コメディアンと呼ばれる売れっ子になります。
しかしやがて映画はトーキーの時代を迎えます。
トーキー時代になると、結局生き残ったのはチャプリンだけのように思われ、キートンはトーキーの流れから脱落したような印象がありました。しかしそれは誤りだったようです。日本にトーキー以後のキートンの出演作品があまり入ってこなかったからではないかと思います。キートンのキャリアに陰りを落としたのは、この本を読む限りではどうもそのころの離婚問題にあるように思いました。
ある時家に帰ると奥さんが子供を連れていなくなっていました。キートンはあちこち探しまわります。ようやく見つかって離婚調停をしますが、子供も、家や財産も奥さんに持って行かれます。そのころからキートンは酒びたりになっていきました。お酒がないと眠れない。朝起きて気分が悪かったら迎え酒。そしてお酒を飲んだまま撮影所に行き、ある時眠り込んで撮影をすっぽかしてしまいました。さらに、当時所属していた映画会社MGMと意見が合わずに対立し、ついにMGMをクビになってしまいました。
キートンは療養所に入ってアルコール依存症の治療をしました。
しかし、映画出演はその後も途切れずにありました。
フィルモグラフィを見てもほとんど空白の時期はなく、主演ではなくなっても映画に出演し続けています。
さらにテレビの時代になると、テレビのレギュラーにもなり、CMにも出演していました。どうやらアメリカではキートンはずっと人気者だったようです。サイレント・コメディの定番のギャグ場面「パイ投げ」も一時は陳腐化してすたれていましたが、やがて復活してパイ投げ指導もするようにもなりました。
日本では「サンセット大通り」で往年の映画スターでいまだに映画のオファーを待っている女優の仲間とか、チャプリンの「ライムライト」でお情けのように出演しているような映画ぐらいしか公開されなかったみたいで、そのためキートンはサイレント時代の過去の人のようなイメージになってしまったのかもしれません。
キートンはその後ずっと年下の女性と再婚し、仲良く暮らしました。さらにキートンの人生を描いた映画も制作され、そのヒットでプール付きの家も建てました。
最終章のタイトルは「All's Well That Ends Well」(終わりよければすべてよし)、つまりシェイクスピアの戯曲のタイトルとして有名な言葉です。そう言える人生を送れて幸せだったのですね。
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