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2017年04月01日12:22

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猪木とビンス(415)

旗揚げ以来、最大の総勢36人という選手、レフェリー、フロントの大量離脱に見舞われ、激動の84年をどうにか終えた新日本プロレスは「新日本プロレス元年」をスローガンに85年をスタートさせました。

81年12月にスタン・ハンセンを全日本プロレスに抜かれた翌年の82年も「ストロングスタイル元年」を標榜し、元日の興行にはローラン・ボック、カール・ゴッチを招聘しています。

新春黄金シリーズの開幕戦は1月1日、4年連続開催となる元日の後楽園ホール大会(観衆3000人超満員発表)からスタート。

参加外国人選手はWWF世界ヘビー級王者ハルク・ホーガン(1月1日後楽園ホール〜1月7日戸田市スポーツセンター、1月31日船橋市運動公園体育館〜2月6日大阪府立体育会館)、初来日のキングコング・バンディ(1月4日富士市吉原体育館〜2月6日大阪)、アブドーラ・ザ・ブッチャー(1月11日多賀城市体育館〜1月25日徳山市体育館)、ワイルド・サモアン、ケリー・ブラウン(1月1日後楽園〜2月4日岡崎市民体育館)、ブラック・タイガー(ローラーボール・マーク・ロコ)、デーブ・モーガン(1月1日後楽園〜1月19日大分・中津市勤労者体育センター)。

外国人側としてストロング・マシンズ、日本側はNWA世界、WWF両ジュニア・ヘビー級二冠王者のザ・コブラ、助っ人としてタイガー戸口が3シリーズ連続出場。

また、前年84年10月の全日本プロレス、ジャイアント・シリーズを最後に姿を消した上田馬之助が、81年9月のブラディ・ファイト・シリーズ前半戦以来3年4か月ぶりに新日本プロレスに復帰し、ヒロ斉藤と共闘しています。

WWF世界ヘビー級王者ホーガンはアメリカでのスケジュールの都合から序盤と終盤に1週間づつの特別参加。

前回は前半11月の第5回MSGタッグ・リーグ戦にWサモアンと組んでエントリー、開幕戦の11月16日、川崎市体育館で猪木、藤波組と公式戦で対戦。

場外で猪木の延髄斬りを食らったホーガンは額から流血しダウン。その間リング内にいた藤波がサモアンを前方回転エビ固めで仕留めていますが、ホーガンは開幕戦に出たのみで頭部裂傷を理由に疑惑の(?)途中帰国。

いわゆる剃刀等による「カット」で残り試合をキャンセルして帰国しなければならないほどの怪我を負ったかは甚だ疑問で、最初から開幕戦だけしか出るつもりはなかったかと思われます。

今回は全米一の売れっ子であるホーガンが前回の穴埋めの意味もあり、前84年のIWGPと同様にシリーズ中日米往復参戦となりました。

初来日のバンディは前年7月に新日本プロレスの顧問に就任した元国際プロレス代表の吉原功が初の一本釣りに成功した期待の大型レスラー。

テキサス州ダラスの鉄の爪フリッツ・フォン・エリック主宰のワールドクラスで活躍、82年6月6日にはダラスのテキサス・スタジアムで行われたフリッツの引退試合の相手を勤め、(オールアメリカン・ヘビー級選手権試合、エニウェアフォールルールで挑戦者フリッツが場外でのアイアンクローから3カウントを奪い勝利、ベルトを獲得し引退、王座返上)83年6月17日にはダラス・リユニオンアリーナでは日本から遠征してきた馬場のPWFヘビー級王座に挑戦、16文キックでフォール負けしましたが、これらの試合はいずれも日本でテレビ放送され、その存在が日本のファンにも広く知られるようになりました。

動ける巨漢タイプで馬場の好みに合っていた選手と思われ、当時の馬場とフリッツの関係からして全日本プロレスへの参戦が濃厚でした。

事実上、馬場がブッキングしていたUWFのオープニング・シリーズ第2弾にトミー・リッチ、キマラ等と一緒にメンバーに名を連ねていましたが、新間寿の退陣によりシリーズは中止に。来日はキャンセルとなっています。

その後バンディはダラスを離れ、AWAに転戦したところ、吉原の指令を受けた大剛鉄之助がブッカーとして動き、バンディにオファー、獲得に成功しました。
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