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2016年12月03日10:05

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忠臣蔵の季節ですね

■「吉良殿御痛も軽ク」… 刃傷事件直後の記録見つかる
(朝日新聞デジタル - 12月03日 05:14)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4323757

うちの亡くなった親父の十八番が三波春夫の「俵星玄蕃」だったな。
浪曲歌謡曲という世にも珍しい長編歌謡曲で一曲が一つの話になっている。
サビの部分が「雪を・・(以下著作権により削除)」
となるまあかなりのヒット曲というか三波春夫の出世曲だった。

で,かなり長い曲なんで毎朝ドーナツ盤をプレイヤーにかけ練習。
まあ,そりゃ横で聴いてりゃイヤでも覚えますわね。
小学生の頃にはこの俵星玄蕃と赤垣源蔵はすっかり覚えてた。

まあ,なので自然と赤穂浪士の話についてはかなり詳しくなっていたりして。
成長するにつれ,この忠臣蔵の話が全くでっち上げの創作であったことを知りビックリ!
もちろん元は史実である赤穂浪士の討ち入りではあるけれど,話は全く違う。

名君となっていた浅野内匠頭は決して名君などではなくどちらかというと暴君。
というか無能な殿様で短気でキレやすく,非常に扱いにくい人物であったらしい。
しかも男色家で気に入った美少年を見つけると無理に傍に呼び寄せたり,
そういうことには金に糸目は付けないのにもの凄い倹約家というかドケチで
非常にセコい人間だったらしい。

筆頭家老の大石内蔵助は随分な苦労をして城中をを治め,
陰の本当の名君はこの人であったとされる話も数多くあるらしい。

しかも悪役とされる吉良上野介は逆に大層な名君で,地元のために尽力し,
地場産業の発展に大いに貢献,その為に赤穂の有名な塩作りの方法が知りたく
浅野内匠頭に塩の精錬法を熱心に尋ねたらしいが,鼻であしらわれ
それが二人の確執の原因になったとされるのが本当の話らしい。

浅野に対する不満が募り募った吉良が彼に対して不条理な物言いをしたり,
差別的な扱いをしたのもコレが原因だったんだろうなと。
しかしアタマの固い浅野は断固として吉良に従順な姿勢は見せず
コレが江戸城内刃傷沙汰!という前代未聞の事件になったんじゃないかと。

そうすると喧嘩両成敗が常道の江戸時代にあって浅野ばかり処分されたのも
なんだか肯ける。一方的に吉良にキレた浅野の凶暴な振る舞いに
喧嘩ではなく浅野の失態として片付けられたとしても仕方ないこと。

後の赤穂浪士討ち入りの話も脚色が非常に強く,山道段駄羅火事羽織の衣装
山鹿流儀の陣太鼓も真っ赤な嘘で,衣装はバラバラ。
討ち入りにしても主君の無念を晴らそうという考えではなく,
世に一つ警鐘を打ち鳴らす(なあなあの上級武士の世界)目的だったんじゃないかと。
場合によってはそれが上手くいけば仕官も叶うんじゃないかと思う浪士も
少なからずいたはず。

実際,赤穂浪士が切腹する際,見事に切腹をしてのけたのは大石内蔵助以下
中心人物とされるごく僅かな面々だけだったらしい。他の殆どの浪士は
切腹することすら考えておらず,逆に名臣としてもて囃される機会と思ったんじゃないかな。

これだけ資料が彼方此方に残っていながら,真相忠臣蔵!という話が生まれないのは
核心に触れる重要な証拠がなく,刃傷事件の内容も残されていないからだって。
ちょっとした事件がのちに大きなウェーブをもたらすなんて,
当時の当事者たちは思いもしなかっただろうね。

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