mixiユーザー(id:1940449)

2015年12月21日13:44

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あっぷあっぷしてるw

人は自分の意志の理由を理解できない
ナニユエに行動するのか
その元になる意識が何であるのかわからない
理性とは
その理解不能なものに対して
合理性が高いと判断される理由を与える能力だ
したがって
理性が間違いをおびるというのは
単なる間違いというよりは
作り上げた理由に なんらかの不都合が生じて
修正せざるをえないという状況だという方が近い
それが人の限界で
人に羽がないので飛べないのと同じだ

いってみれば
人は形而上の意思を追い求めながら
プラグマティックな思索で自己を正当化する事によってのみ
理性を保つ事ができるということでもある
「その事について考えている間」が
いわゆる「理性」の時間だ
逆に言えば
考える事を停止した瞬間に
「意識」という神を自分の中に作り上げる
そして
その神は限りなく優しく正当化された存在だ
ニーチェの言うルサンチマンの実相だ
これは弱者強者の区別なく
人間の基本的な実相でもある

基本的に「話し言葉」とは
この作り上げられた己の内なる神の言葉だ
考える前に凄まじいスピードでつむぎだされる
あらかじめストックされ 正当化された残留物だ
で 「書き言葉」とは
基本的には大差はないが
理性のスピードにやや近い分
そして自然な肉体的機能ではない事からくる不自由さ故
理性の影響が強い
いわば 呼吸できない水面下からかろうじて顔を上げている時間だ



以前から感じていた
なぜ古今の知識人と言われる人々が
いざ政治的発言をするとなると こうも理性が失われるのだろうか
政治は「話し言葉」だ
もうすでに彼等の言葉は
彼等の内なるルサンチマンが作り上げた神の言葉だ
いわゆる「正義」だ
同じ人間だからといって
彼の理性と正義は別物だ
同一視しては矛盾点は多々出てくるということになる

こと大衆において
書き言葉と話し言葉の差は限りなく縮まる
我々はプロとしての思索者ではないし文献学者でもない
我々が書く事は
話し言葉と何ら変わりない作り上げられた得体の知れない意識であって
理性の苦い汁ではない
インターネットを通して語られる言葉も
限りなく話し言葉に近い
そして ここで重要なのは
マスコミ・ジャーナリズムもやはり話し言葉であり
あらゆる媒体は意識せずに神の言葉を探し求めている
どこで理性を止めて
そこにある神を崇めるべきかを競い合っているにすぎない

まー そんなことをいくら言いつのっても
考える事をやめた瞬間に
長年育て上げてきた意識の神に覆い尽くされる
そういうもんだw
でなきゃキチガイになってしまう
おれの限界つーか 人の限界ってそんなもんだ

てか うかつに全集なんか買って
読みあさってばかりで先を急ぐとこーなるw
読書にも分相応ってもんはあるに違いない
でも たぶんそんなに間違っちゃいない
何の意味もない結論じみた話ではあるがw
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