●2015年04月13日(月) 曇り 強風
▼荒れた天気が続いている。
このあたりでも、きょうは、強風が吹きまくり
時折、突風に窓ガラスが、どっ・・、とか、ばっ・・、とかいう、風圧による
音を鳴らして揺れる。
夜が明けるまで、その風の音を聞いていた。
いま、夕方の5時。
まだ、風はやまない。
▼これは、「決意」というほどでないし、「覚悟」というほど悲壮なものでもない。
あえて言えば、「予感」ぐらいが、ふさわしいのかと、思ったりしている。
あと3か月ほどで、70歳になるのだが、そのときのことを、今、
思っているのである。
夜更けて、ひとり、ぼんやりしているときなどは、
この問題を考えて、ひとときを過ごす・・・。
それは、けっこう、楽しい時間でもある。
▼7月に、古稀を迎えて、70歳代に入るわけだが、
きっと、これは、還暦を迎えたときとは、位相を異にする出来事だと
思う。
「なぁ〜んだ、歌の文句にあった、『♪今年、六十のお爺さん・・・』というのは、
こんなこと、だったのか・・・」
と、還暦のときは、思った。
しかし、古稀は、これとは、ちょっと違うと思うのだ。
▼いま、特に、健康に不安があるわけではないし、健康のために
何かを始める、ということもない。
でも、いくらかずつ、船が傾きつつあることは、わかる。
じわっと、どこからか、浸水してきているのかも、知れない。
老朽化すれば、それは当然のことであって、なんの不思議もないし、
そういう事態に、不平をいう気もない。
しかし、じわじわと、傾斜がきつくなり、復元力の衰えで、
ただただ、趨勢にしたがって、傾くしかなくなるように、なってきたら・・・。
、
▼「そんなことを考えるのが、どうして楽しいのか?」
そんな、反問もありそうである。
「楽しい」というのが悪いのなら、「愉しい」と書き改めてもいい。
「愉楽」という言葉が、思い浮かぶ。
いつか、「日記」に、「愉楽」や「悦楽」や「快楽」という言葉について書いた
ような気がする。
が、こんどは、言葉ではなく、実際に、それが訪れるのである。
「死」は、楽しいものではないとしても、「死」を愉しむことは、できるのでは
ないか。
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