●2015年03月31日(火) 晴れ
▼今朝、「ごみ出し」にいくと、回収場の横の桜が
満開になっていた。
昨日の気温で、一気に花開いた・・。
明石公園で、毎年恒例の「2000年会」の花見大会を
今年はしない。
神戸駅近くのホテルで、昼食会を兼ねた「解散式」を
行うからだ。
「解散式」のあと、もし、元気があれば、夙川沿いか、王子動物園で
花見をしてもいい、ということになった。
▼いまから15年前の『2000年の春』に、私たちは希望退職で職場を去り、
その年から毎年、夏に「ビール大会」、冬に「忘年会」、そして、途中から
春には「花見大会」を開催するようになった。
「ビール大会」は暑いから、「忘年会」は寒いから、そして、みんなが高齢になったから、
2つの集まりは、近年、省略することもあった。
しかし、「花見大会」はやりはじめてから、一回も欠かすことなく、毎年、
春には『花見大会』を開催した。
▼「2000年会」の来歴は、何度か書いたが、もう、この「日記」に書くことはあるまい。
それで、15年間を振り返り、なぜ、「2000年会」が誕生したか、もう一度、
書いておくのも、意義なきことではあるまい。
▼私たちの希望退職は、「リストラ」によるものであるが、退職した多くの人は
リストラ対象者ではなく、使用者の「リストラ」のやり方に反旗をひるがえし、
みずから職場を去ることを決めた人たちだった。
▼いまから30年ほど前、「リストラクチャリング」は『再構築』という意味で使用され、
経営の『構造的な立て直し』を指していた。
それは、今日のような、「リストラ」 = 「人員削減」のような意味ではなく、
言葉の本来の意味どおり、経営合理化の一手法として、構造的な問題を根本のところから
見直し、経営を「再構築」することだった。
▼ところが20年前、1995年1月17日の阪神・淡路大震災で、
私たちの職場は、本部ビルが倒壊し、支部・店舗にも甚大な被害が出た。
そんな中でも、私たちは「創造的復興」というスローガンを掲げ、労使一体になって
震災からの復興をめざした。「雇用は守る」というのが、『労使の合意』であった。
▼それが、1999年10月度の『労使経営協議会』で、「希望退職・リストラ・雇用調整」に
限りなく近い、『早期退職優遇制度』を実施したい、と使用者から申し入れがあった。
そして、年が明けた2000年1月度の『労使経営協議会』では、「もはや雇用は守れない」
として、はじめて『希望退職』を募る、との使用者側の実施の方針とスケジュールが
提示された。
「希望退職」と「リストラ」という言葉が使用者から言われ、もし、これを行わなければ、
「5年後に、生協は倒産する」ということであった。
▼労働組合は、「あくまで、本人の意思を尊重する」という条件で、使用者の「希望退職者」の
募集を受け入れた。
▼希望退職の募集は200名であったが、応募するものは、ほとんど
いないのではないか、多くても50人くらいか、などと噂されていた。
▼自発的に応募してくる者で、「200名」という退職者希望者を募ることは
困難であると判断した使用者は、45歳以上で、20年以上勤続する正職員
2004名全員に対し、「退職の意思の確認」として、「個人面接」を行った。
「指名解雇」でないが、実際は「200名」の「解雇者リスト」があったようである。
しかし、一次の面接で「希望退職者」を200名、確保することができなかった。
「辞めません」と言う者に対しては、再呼び出しがあり、二次・三次の「面接」が
行われた。
▼人事部の勤続10年にも満たない者が、30年勤続の職員に向かって、
「職場に残っても、もう、あなたの仕事はありません」と退職を迫った。
あせっていた人事部は、「解雇者リスト」の200名以外にも、退職強要を
行って、どうしても「200名」の「希望退職者」を確保しようとした。
▼この、あまりにも強引な退職強要と面接によって、もはや、「生協」という
『仲間組織』ではないと、現実の「生協」に嫌気がさして、退職を決意する者が
続出した。 最終、募集「200名」の3倍を超す、「640名」が希望退職した。
生協は、当初より440名も増えた希望退職者の「退職金」を用意するため、
急遽、銀行から100億円を借り入れた。
▼2000年4月17日から22日の6日間、希望退職者640名のうち、約500名が
健康保険の「任意継続被保険者手続き」を、コープこうべ・健保会館で行った。
私たちは、手続きのために来館した約500名に、「退職者名簿」と「退職者文集」の
作成を呼びかけ、この趣旨に賛同した者224名で、退職後の相互扶助と交流の
ための組織『2000年会』を設立した。
▼企業内広報誌で、毎月、「退職者」の氏名を掲載していたが、「希望退職者」の
氏名は、生協内においても、一切、発表されず、退職日の4月15日まで
誰が退職するのかわからず、業務の引継ぎに大混乱をきたした。
組織内で勤続20年以上のベテランが、、ある日、突然、その約「3分の1」が
一斉退職するのである。
▼私たちが作成した「退職者名簿」は、あちこちでコピーされて、生協内と取引先で
流布し、貴重な「業務情報」となって感謝された。
また、「退職者文集」は、アンケート調査報告書『いま、生協に何が問われているのか』
という『書籍』となって、一般書店でも販売し、資料用残部をのぞき、
印刷した3000冊を、ほぼ完売した。
また、2002年には、希望退職者の「就職状況に関するアンケート」をまとめた
「第2次調査報告書」も刊行した。
▼ざっと記せば、そんなことになる。
15年より、もう少し前、私はインターネットを始めていた。
それで、「ガーラフレンド」と、「ジオシティ」という、無料の「ホームページ」を利用して
「2000年会だより」を発行した。
・
http://www.geocities.jp/narato/2000nen/index_02_12_31.html
また、「社会見学」で、演劇や映画や音楽を楽しんだ。
・
http://www.geocities.jp/narato/2000nen/index_05_10_01.html
▼退職した翌年1月、「確定申告(還付申告)について」という『お知らせ』をした。
人事部は、退職手続きのとき、この「還付申告」のことを、一切、退職者に
知らせなかった。
そのため、30万円とか、40万円とかの「還付金」を、申告しなかったたために
所得税を超過納税したままの人もいたが、この『お知らせ』で、還付金の返還を
受けた人たちからは、大変感謝された。
・
http://www.geocities.jp/narato/2000nen/kakutei.htm
▼いま、これらのインターネット上の文書や資料は、インターネット・サービス会社の
サービス停止などで、リンク切れのものもある。
「第2次アンケート調査」については、ようやく、インターネットにアップしたが、
そのほとんどは、まだ、手つかずである。
・
http://www.geocities.jp/narato/umekomi/2000nenkai/2jichyousa_mokuji.html
リンクの整理など、できれば、やっておきたいが
「もう、見る人もいないのでは・・・」と、内心、思っている・・。
▼みんなが、まだ元気だった頃の『2000年会だより』を見ると、
こんなことが書いてあった。
<第2回・花見大会プログラム>
●集合
・当日 4月9日(日) 11時
・集合場所 JR明石駅 改札前
●会場 明石公園
●二次会 明石「玄米三合」
★昨年は、須磨浦公園でやりました。
ことしは、明石公園で開催します。
雨天決行です。
花がなくてもやります。
ふるって、ご参加ください。
▼今年の桜は早いようである。
退職時点で、55歳だった私が70歳になる。
10人ほどの世話役のうち、2人が亡くなり、
1人が片方の肺を切除し、2人が脳梗塞で倒れ回復した。
『昼食会』を兼ねた「解散式」には、5名が集まることになっている。
4月4日、「解散式」のあと、花見に行くとして
花はまだ、残っているだろうか・・・。
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