●2015年01月17日(土)
▼きのう、ひさびさに、「早朝散歩」に出た。
そうさせたのは、おそらく、20年目の1月17日を迎えるからだろう。
「早朝散歩」して、『アルバム』には写真を貼り付けた。
そして、次のように書いた。
●2015年01月16日
あした、震災から20年になる。
きのうあたりから、特集番組が多くなった。
あの日から、私にもいくつかの出来事があった。
怯えるショウを連れて、椿谷公園で凧を揚げた。
チカはちょうど10日あと、生まれた。
私は、5年後、早期退職した。
その後の20年は、私の新しい人生になった。
あと残り10年ぐらいの人生は、過去20年のうえにある。
しばらく休んでいた早朝散歩を
またはじめてみようかと思った。
ひよどりが啼き、木々のあいだを飛ぶ。
シャッターを押しても姿が写っていない。
横尾道を歩いて、団地にもどると、ひよどりが
群がっている。
こんどは姿をとどめることができた。
▼「その後の20年は、私の新しい人生になった。
あと残り10年ぐらいの人生は、過去20年のうえにある。」
そう書いて、しばし、思うことがあった。
20年前の1月17日から、私は新しい人生を歩むことになった。
それは、自分が決意したものでなく、大きな揺れで飛び起き、
私は、「しまった!」と思った。
それは、どこから沸き起こった感情なのか、また、何を
「しまった!」と思ったのか、いまもって、自分でもわからない。
しかし、あきらかに、それは何かについての、私の慢心や怠惰や、
要するに、なすべきことをしなかった、私の怠け心が原因で、
その結果として、呼び起こされた「大変な出来事」のように感じたのだ。
▼その話をすると、家人は、
「それは、我が家の耐震対策を怠ったことを、しまった、と思ったのか」
と問うが、そんなことではない。 そう否定すると、こんどは、こう言う。
「じゃあ、あんたは、何をしまったと思ったの・・。まるで、地震の全責任を
あんたが負うてるみたいに・・」と。
しかし、ガバッと飛び起きて、「しまった!」と思ったことは、家人の理解や、
自分自身の了解をも超えて、私が、真実、思ったことである。
▼あれから、20年。
私は、それまでの自分とは異なる自分に変化する自分を確認した。
最初は、自分でもわからぬ精神の異常として。
次には、長年つとめ、愛着のある職場を去ることで。
そして、その日から10日後に二番目の孫が生まれ、
誰かが死んでも不思議のない状況で、私たち家族は
死なずに済んだ。
▼震災の記録は、私はとることさえ、なにか不遜なように思えた。
だから、直接に、記録に残すためのメモも写真も私は一切とらなかった。
「しまった!」という思いに突き動かされ、一所懸命に、とにかく
動いた。 なにをどう、動いたかも忘れてしまった。
おそらく、もう数時間すると、神戸市庁舎の南の東遊園地で、
「震災から20年」というセレモニーが始まり、その映像がテレビで
流れるにちがいない。
しかし、私の出発点はそんなところにない。
自分は記録をとらなかったが、記録をとってくれた人もいる。
そして、空から神戸を映したり、ニュースで報道したりする人もいる。
当日
翌日のニュース
一か月後
▼「法のない生活」とは、「放逸な生活」とでも言えば、いいのだろうか・・。
そんな能天気な生活をしている私にも、節目となる20年は、考えさせるものがある。
それで、これも、ひさびさに、「うみうし独語」として、書いてみた。
※『うみうし独語』と冠して、最後に書いたのは、この「
日記」だと思う。
それ以降は、冠なしだったり、新たな冠をつけたりしている。
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