●2014年11月14日(金) 未明
▼「ナラトさん。
寒くなってきましたね。 さっき、奥さんが『電気座布団』もってきてくれました」
「少しずつ寒くなってくねぇ」
「氷ノ山(ひょうのせん)でも、初冠雪があったらしいですよ」
「ああ、そう・・・。 『ひょうのせん』ね、むかしの人はネーミングがいいねぇー」
「何、言ってるんですか・・・」
「キツネくん、ボクはここの所、昭和30年代にひたりっきりなんだけど、
当時、ボクは10歳、小学4年生になる頃で、敗戦から10年がたって
ようやく、戦後のドサクサから脱出しかけたときだ・・」
▼「えっ、ナラトさん。
昭和30年って、広島や長崎に原爆が落ちて、東京や大阪や神戸でも、焼夷弾が
降って、街が焼け野原になって、それからまだ、10年しかたっていないころですか・・」
「そうだよ。キツネくん。
阪神淡路大震災から、来年で20年だ。
東日本大震災があって、もう3年半が過ぎている。
ドサクサから立ち上がるのに要した『10年の歳月』のことを思うのだ、けれど、
昭和30年と、いま平成26年とでは、何がちがうのだろうか、って・・?
当時とくらべれば、いまのほうが、よっぽど恵まれている時代だと思う。
なのに、『復興』というのが、なんとも、みすぼらしく見えて来る・・・」
「ナラトさん。なんて言いました?
み・す・ぼ・ら・し・い、・・・・。 『みすぼらしい』ですか?」
▼「そうだよ。 みすぼらしいんだ。
阪神淡路のときには、『創造的復興』と言って、単なる『復興』ではない、
と決意した。
そう言えば、昨日だったか、その『創造的復興』を掲げた、当時の貝原・元兵庫県知事が
亡くなられた。
約70年前の、『戦後の復興』も、民衆に『希望』があった。
それが、どうしたことだろう、こんなに恵まれた時代の『復興』に、『夢』や『希望』を
感じないのは・・・。
『みすぼらしい』とは、そういうことなんだけど・・・」
▼「たしかに、『原発』ひとつ、とってみても、人々は何か『決意』したとも思われ
ませんし、『希望』があるわけではありません。
『廃炉』なんて、ゆうてますが、あと何年、何十年、何百年、続くのかしれませんが、
誰も、それに『決意』も、『希望』も抱いていないようですね・・・」
「キツネくん。
いま、『昭和30年代歌謡』って、やってるだろう・・・。 あの中に
吉永小百合と三田 明が歌う、『
明日は咲こう花咲こう』っていう歌、
あるね。
『1965年8月14日 作詞:西沢爽 作曲:吉田正』と投稿者が書いているので、
昭和40年の歌だと思う。
ちょうど、昭和30年から10年たった頃だ・・・。
歌は、まだ、『健全』だった。 そして、『大衆』も・・・」
▼「ナラトさん。
なんか、思い入れが深すぎませんか・・?
それが、どうして、タイトルの『大衆歌謡』と結びつくのですか・・?
オレには、どうも『牽強付会』の感じがします・・・」
「えっ、キツネくん。 いま、何と言った。
け・ん・きょう・ふ・か・い、・・・・。
きみ、いつの間にか、随分、むつかしい言葉、覚えたものだねえー。
きみが、たとえ、それは『こじつけ』だと思ってもかまわない・・。
ボクは、ひさびさに『東京大衆歌謡楽団』の歌を聞いて、思ったんだ。
大衆が、連綿として受け継いできた思いが、『大衆歌謡』には託されて
いる。
それらの歌を歌うことで、途切れそうになる過去とつながり、
もとあった、自分たちの道に、立ち返ることことができると・・・」
▼「ナラトさん。
それは、なんとも、大袈裟すぎます。
論理はハチャメチャではありませんか・・・」
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