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2014年08月04日00:08

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■狐思庵日乗(38) 「弔う」

●2014年08月04日   未明  雨

 ▼「ナラトさん、きょうお昼に、こんな番組やってましたよ」


  「もうすぐ、広島・長崎への原爆投下から、69年目のその日が

   やってきますね。それで、NHK・アーカイブスで、再放送したん

   でしょうね」



 ▼「2002年放送のNHK・スペシャル『原爆の絵』という作品です」


フォト

          「原爆の絵〜市民が残すヒロシマの記録〜」(2002年8月6日:放送)



 ▼「あのキノコ雲の下で、その日広島では、どんなことが起きていたのか、

   そのことはあまりよく知られていない、ということです」


  「それは、当日広島にいて、原爆の炸裂とともに起きた出来事を

   実際に見た人しか、知らないからです」



  「ある新聞社の記者が、広島の街に入ろうとして撮った3枚か4枚かの

   写真が、唯一の記録らしいです」



 ▼「そこで、2002年に原爆資料館とNHKは市民に呼びかけ、当時の記憶を

   絵に描いてもらうことにしました。

   それ以前にも描かれた絵はあり、原爆資料館に保管されているそうです。


   しかし、被爆した人が高齢化してきたため、原爆資料館と協力して、この企画が
   もちあがったようです」




▼「集まった1000枚くらいの絵と、すでにある絵をあわせ約3000枚くらい
  の絵について、原爆資料館では、描かれた場所・日時、描かれた内容、描いた人の
  思いなどを、データとして入力し、整理しているそうです」


  「そうすると、たとえば、路上のある場所で、子供に母親が覆い被さるようにして

  焼け焦げている『母子の絵』のうち、6枚が、調べてみると、場所と遺体の

  うずくまる方向などから判断して、どうやら、それらは、同じ母子を描いたもの

  であることがわかりました」




 ▼「その絵を描いた一人のひとは、その母子の遺体を、もしかして、自分の母と妹

   かも知れないと一瞬は思いつつ、母と妹を探して、そこを通り過ぎた人。


   また、もう一人は、もう90歳を過ぎた老人でしたが、小さな紙切れに

   ボールペンで黒焦げになった母子の姿を、黒く塗りつぶすように描いていま

   した。 脇に『母は強し』というような言葉が添えてありました」





 ▼「番組では、母と妹かと思いつつ通り過ぎた人が、90歳を過ぎた老人の

   家を訪ねていき、そのときの様子を聞く、という内容でした。


   なぜ、あのとき、自分は、その母子の顔を確かめなかったのか、通り過ぎた人は

   ずっと、そのことを悔やんでいました。


   でも、訪ねた老人が、路上で見た母子の姿をずっと忘れずにいたこと、

   そして、老人が床に手をつき深々と頭を下げ、礼をするのを見て、

   その母子が、たとえ、自分の母と妹であったとしても、何かようやく、納得

   できるような気になるのです」






 ▼「また、ある人は10枚の絵を描きました。広島を流れる川の河口で、小型の

   船に乗って暮らしている、水上生活者の人です。



   その人は、当日、おびただしい数の人が、水を求めて川にやってきて、

   そのまま死んでいるのを、見ました。


   その死んだ遺体は、川一面を覆いつくしていました。


   あまりに多い死体に、その人は難儀します。なんせ、死体で船の周りは

   取り囲まれ、にっちもさっちもなりません」



 ▼「それで、棹で死体を船から遠ざけ、海へ流すようにします。


   しかし、死体はいったん海に流れても、また上げ潮のとき、船の周りに

   もどってきます。



   あたり一面、船の周りは、死体が漂っています。 河口から海に流れ、


   また、海からもどってきます」



 ▼「こんなことが、一か月近く続きます。

   川を埋めて漂流する死体を、当局が回収しはじめました。

   9月になっても、あちこちで、集めた死体を荼毘(だび)にふして、

   燃やしました。



   その人の船の周りの死体も、少しずつ減ってきましたが、モンペをはいた

   女学生風の死体だけは、どうしたことか、何回流しても、もどってきて船の

   まわりに漂うているのです」




 ▼「そんな、一ヶ月ほどの河口の様子を、その人は時間を追って10枚の絵にして

   いるのですが、


   ある朝でしたか、もうモンペの柄も判別できぬぐらいになって、変わり果てた

   その死体を見たとき、ああ、この死体はオレに助けてほしいのだ、と思った

   そうです。これまで川を流れて来る何千の死体を見ても、どうもなかったのに、

   棹であっちに行けと、遠ざけていたのに、その人はモンペの遺体を船に引き上げ、

   おもわず泣いたそうです」





 ▼「ある人は、小学校の校舎の下敷きになった男の子と、女の子を描いていました。

   男の子の左の眼球は、何百気圧かしりませんが、爆風で外に飛び出し、

   だらりと、左目の所から頬の下に垂れ下がっていました。

   女の子は、腕を材木に挟まれ逃げ出すことができません。火の手はもう

   すぐそばまで、やってきて、しかたなくその人は女の子に名前を聞きます」




 ▼「番組では、その人が、もとの小学校を訪ねます。そして、彼女の記録はないか

   と探します」



  「すると、昭和20年8月9日だったか、(ああ、すぐにも、忘れてしまう)、

   その日の、教頭の日誌に、4年生の彼女の名前があり、『四年、××××、
 
   死亡』の記載があったのです。 おそらく、その日、焼け焦げた女の子の

   遺体を発見したのでしょう。



   その人は、その記載を見て、『ああ、よかった。この子を弔(とむら)う人がいた』

   とゆうて、泣くのです」




 ▼「ナラトさん。

   2002年ですから、原爆の日からは、もう57年たっていたはずですが、

   それでも、記憶から消えない思いというのはあるのです。

   大量の死体は、家族に引き取られることもなく、焼かれ、あるものは

   海に流れていきました。



   ナラトさん。

   人間が、人を『弔う』ということの意味を、オレ、はじめて知ったように

   思いました」


  
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               広島平和記念資料館:収蔵


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014/08/04
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