●2014年07月04日(金) 曇り
▼きのう3日は雨。
その雨が夜更けにはやんで、
暗闇は濡れて静かになった。
深夜、ビル・エバンスを聴いた。
流麗で繊細で、かつ陰影のある
ピアノは沈思しているように
聞こえる。
▼井上靖の「詩」にも、そんな陰影と
静寂がある。
詩集『北国』を読むと、
散文詩は、すでに一篇の小説のようであり、
小説は「詩」となって結晶し、結晶の核は
孤独な形をしている。
▼どこかに書いたことがあるので探した。
◇◇ あじさい ◇◇
毎日新聞に39回にわたって連載した井上靖の「わが一期一会」が
同名の本にまとめられ、出版されたのが、1982年9月。
もう20年以上も前のことである。
・・・・中略・・・・
この本の中に「あじさい」という一篇がある。
幼い頃に、「あじさい」という花に感じた思いを綴っている。
「幼い頃、私はこの花に好感をもっていなかった。
子供の時は、なべて花というものに好悪の感情など
持たなかったし、・・・・桜が咲こうと、梅が咲こうと、
無関心であり、無頓着であった。」
にもかかわらず、氏はこの花だけに「好きでないもの」を感じていた。
そして、
「私は幼い者の感覚は非常に確かだと思う。何となく、
あじさいの花を、他の花とは異なった特別な花として
感じているのは、現在でも同じことなのである。
ただ異なるのは、幼い頃は嫌いだったが、今の私は好きに
なっていること、それから、もうひとつ異なるのは、
幼い頃の私には、なぜ特別な花か判らなかったが、今の私には
それが説明できるということである。」
と記している。
目の前の、ようやく蕾を抱いたばかりの「あじさい」を見ながら、
私はもうすぐ始まる梅雨の、しっとりと濡れて重たい、憂鬱で薄ら
明るい紫の花のことを思っている。
narato
(05.06.01)
▼書いてあったのは、ホームページの「更新記録」欄だった。
(05.06.01)とあるので、私がこの欄に書いた時から9年、出版からは32年の歳月が
経過したことになる。
李白、曰く「光陰は百代の過客なり」。
井上靖は、「幼い頃の私には、なぜ特別な花か判らなかったが、今の私には
それが説明できる」という。
「このあじさいの場合と同じように、幼い頃、外界の事象から心に受けとめている
ものは、そして心に深く刻み込まれているものは、なかなか大切なものでは
ないかと思う。めったに間違ったことは心に刻まれていない。
ただ大人になってからでないと、それに表現を与えることができないだけのことで
ある」
▼詩集『北国』に「
瞳」という「詩」がある。
七歳ごろであったろうか。明るい春の、風の強い日、
私は誰かに背後から抱いて貰(もら)って庭の隅の古井戸を
覗(のぞ)き込んだことがある。
・・・・
私にも同じような経験があり、井戸を覗いたときの、ひんやりとした感覚を
今でも覚えている。
しかし、そのときの感覚は覚えていても、その不思議な感覚の本質が何であったか、
いまだ言葉にならない。
★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★
▼「音楽掲示板」案内 ―――― 2014/07/04
――
" Music is Love in search of a word. " ―――――――――――
「
音楽掲示板」
「
きょうの一曲!(動画)」
(試聴) ←7/4「シシリアン / エンニオ・モリコーネ」
「
きょうの一曲!号外」
←7/4「 Bill Evans 特集 」
「
もっと音楽を!」
「BGMチャンネル」
/
/
/
/
/
/
/
/
――――――――――――――――――――――――――――――――
■
yahoo案内
「
ホームページ」「
naratoブログ」「
楢門二樹ブログ」「
音楽掲示板」「
詩人インデクス」
※ 7/1「ホームページ」更新、7/2「詩人インデクス」更新・「井上 靖」追加
――――――――――――――――――――――――――――――――
ログインしてコメントを確認・投稿する