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2014年05月26日23:27

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■「男泣くなら人形のように・・」

■2014年05月26日 (月)   雨

 ▼高野山・奥の院への表参道を入ってすぐ左手に、海軍・航空隊「同期の桜」の慰霊塔が
  あり、その奥のやや上がった所に、「鶴田浩二の墓」がある。
 
  
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 ▼かなり目立つ墓であったが、あまり参詣に訪れる人はいないのであろうか、
  ひっそりと建っていた。


  「何気なく入った店に、鶴田浩二の色紙が掲げられてあった。繊細な達筆で、
   次のような文句が認(したた)められていた。
  『男泣くなら人形のように、顔で泣かずに腹で泣け』」(出久根達郎『百貌百言』)


 ▼この「本」によると、鶴田は夕日が嫌いだったそうである。

    
   「鶴田は、夕焼けが大嫌いだった。遊び仲間と別れて、帰宅せねばならぬからである。
    幼年時代、鶴田は目の不自由な祖母と、二人きりで暮らしていた。

    彼の帰りを待つ家は、暗くなっても電灯がともっていなかった。温かい
    夕飯も用意されていなかった。

    鶴田は家に入ると、まず裸電球のスイッチをひねらねばならなかった。
    光の中に、コタツに足を入れて寝ている祖母の姿が浮かんだ。
    声をかけても返事がない。 体を揺すると、冷たかった。 鶴田は隣家に駆け込んだ。」

 ▼鶴田浩二は、本名・小野栄一。複雑な家庭に育った。
  芸名は師匠の高田浩吉にもらった。高田の「高」を「鷹」に見立て、弟子に「鶴」の
  名を与えた。

  弟子は師匠に負けぬ美声で、優美な男だった。
  海軍飛行予備学生の手記をもとに作られた映画『雲ながるる果てに』は、鶴田の
  初期の代表作となった。


 ▼鶴田は、自分は学徒出陣で海軍航空隊に入り、特攻隊員として終戦を迎えたと語り、
  昭和19年4月に関西大学専門部に入学、5月15日に横須賀第二海兵団に二等水兵と
  して入団したとも言っている。(杉井輝応『鶴田浩二』)


  彼の十三回忌を機に、二冊の「本」が出版された。
  一冊は、鶴田の長女が父の思い出を綴ったもので、「父の戦時履歴」は嘘だった、
  と書いた。

  役作りをしていると、演じている自分と、本当の自分の区別がつかなくなる。
  それは役者特有の思い込みであって、鶴田の場合、戦争の話がそうであった。
  鶴田に、学徒出陣や特攻隊員に引込まれていく切実な思いがあった。

  ウィキペディア「特攻崩れの虚実」には、このあたりの事情が書いてある。


 ▼もう一冊は、やはり鶴田の娘・三女が父の思い出を綴ったものである。
  
  彼女は「父は学徒出陣し、特攻隊員となった」と信じると言い、鶴田の日頃の口癖であった
  「人間、男たるもの、己の信じるスピリットはいかなるときも曲げてはならない」と
  いう言葉を書き留めている。


 ▼「きょうの一曲!」には『異国の丘』ほか、『神風特別攻撃隊・大和隊 海軍少尉
  植村真久遺書 朗読』と、2012年8月28日放映のNHKクローズアップ現代
  『特攻隊員の遺書』を採り上げた。

  ・http://www.geocities.jp/narato/todays_music/14_05_26_index.html



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