mixiユーザー(id:1040600)

2014年03月21日19:21

140 view

■「言葉が役に立つとき」

●2014年03月21日 (金)  曇り

 ▼山田太一『月日の残像』を読んでいる。

  35篇の随筆が季刊『考える人』に掲載された順に読んでいけば、
  山田さんが年齢を重ねるごとに、日々の生活で目をとめる対象や、
  見て思うことや感じ方に、どんな変化があるのか、また、どう深く
  なるのか、それとも、やがてぼんやりしてくるのか、その変化の様子が
  分かるのかもしれない・・。


  自分と同じ年齢のときに、どんな話題をどのように展開しているのか
  そんな読み方も可能かと思う。

  だが、そうやって最後の「届かない領域 (2013.05)」を読むには、
  あと10年も長生きしなくてはならない。


  10年後の80歳まで、私は生きる自信がない。
  それで、先読みをして、11年先を歩いている人が感じる
  「年齢の雰囲気」を、それぞれの文章のテーマや行間から、
  それとなく感じてみるのである。


  
 ▼とりあえずは、ぱらぱらとページをめくり、ちょっと気になるタイトルや、
  本文に知っている「本」や「著者名」があると、そのあたりを読んでみる。

  例えば、「ルナールの日記」(p.187)。

  ルナールについては、たった一冊『にんじん』しか私は読んだことは
  ない。
  けれど、この一冊からもルナールがどんな作家であるかが推察できる。

  自身の少年時代をモデルにしたこの小説は、訳者でもある岸田国士の
  「解説」にあるように、「狭さと依怙地」「小ささの偉大さ」が、
  作品のなかに、「傲然とひそんでおり」、それは作者の「純潔な魂」と
  でも言うべきもので、そのルナールの「日記」であれば、ある程度、
  推して知るべしである。



  山田さんは、『ルナール日記』から、まずこんな言葉を引用して
  文章を書いている。(p.189)



    人間が変わるということはある。
    それでも馬鹿さ加減に変わりがない、ということもある。
     (『ルナール日記』岸田国士・訳 第5巻)

    このくらいの感慨はルナールを借りなくても言えることかも知れ
    ないが、私はよくルナールの日記の言葉が頭に浮かぶ。



 ▼そう書いておいて、「シラノ・ド・ベルジュラック」を書いたエドモン・
  ロスタンや、チェーホフ、ヴィクトル・ユーゴーなどについて語るルナールの
  ことを書く。「どんな意味でも『重大な問題』は文学の対象とならなかった」
  ルナールであるが、対極的なユーゴーには「嫌いなものが嫌いなほど、
  好きなものが好きではない」という「賛辞」がある。

  山田さんは、その言及ぶりを話題にしながら、山田さん自身のそれらの
  言葉への感じ方や、ルナールへの共鳴、つまり、自身とルナールをどう
  重ね合わせているかについて述べている。


  『ルナール日記』からは、ユーゴーへの評価である次の言葉も
   引用している。(p.194)

    
    私たちはみんな、何らかの点で幾らか落伍者だ。(日記・第7巻)




 ▼そして、話題は急に「大原麗子さんの死」に飛ぶ。


    平成二十一年八月に女優の大原麗子さんが亡くなった。
    青山葬儀所で別れの会があった。私はそれほど一緒の仕事は多く
    なかったが、一年間のドラマがあったり、たまに電話で話すこと
    もあり、晩年は難病をかかえてとても淋しかったようだと聞いて
    いたので、お参りに出かけた。

    すると、彼女の女優生活を十数分にまとめた映像が流されたので
    ある。

    華やかに、いいところをよく選んで編集したビデオだった。
    私は見ているうちに、これは映写が終わったら拍手をしようと思
    った。

    孤独な死を迎えた女優を囲んだ最後のみんなしての集まりではな
    いか。
    よく生き抜きましたね、と拍手してなにが悪いだろうと思った。


    終わった。拍手した。
    私ひとりだった。
    なんという非常識というように見る人もいた。

    平気だ。ルナールの言葉が頭にあった。

     なぜ弔辞の時には拍手をしないのだらう。(日記・第6巻)


 ▼平成21年(2009年)8月、山田さんは75歳のはずだ。
  「ルナールの日記」の末尾は(2010.11)だから、お別れ会の翌年に
  「大原さんの死」のこと、そして拍手したこと、『ルナール日記』の
  ことを思い出したわけだ。

  もし、引用したルナールの言葉がなければ、山田さんは拍手しなかった
  ろうし、拍手していなければ、「大原麗子さんの死」を思い出すことも
  なかったのかもしれない。
  もちろん、この「ルナールの日記」という随筆は書かれることはなかった。
 

  短い言葉で、何かひっかかる言葉。
  ノートに書き留めておき、いつか引用したいような言葉。      

  そなん自分にとっての言葉もあったはずだが、ノートを用意して
  引用集を作ることもなかったので、どんな言葉があたか、
  私は問われてもすぐに答えることができない。

  しかし、何かの折、思い出したかのように言葉は屹立する。

  もちろん、その言葉がひとにとっては役に立たず
  たったひとりの拍手になったとしてもである。


    
フォト


3 7

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する