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2014年03月05日21:39

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■モラリストの面目

●2014年03月05日 (水) 晴れ

 ▼「日記」に、山田太一『逃げていく街』のことを書きながら、
  私は、「吉野弘」さんを思い出していた。
  
  山田太一(編)『生きるかなしみ』は、冒頭に吉野弘さんの詩
  「或る朝の」を載せている。
  また、『吉野弘 詩集』(ハルキ文庫)に、山田さんは、「貴にして重い」という
  一文を寄せた。


    「吉野弘詩集は──ありきたりな言葉は使いたくないけれど、
     くりかえし読んでも楽しいし、びっくりするし、人生や人間について
     深く諦めた人の、尚、諦めない思いが底流にあって──というのも、
     どうもありきたりで、吉野さんの前では身が縮みますが、私には
     吉野弘詩集は貴重です。貴にして重いです」



 ▼私にとっての「吉野弘」さんは、まさに、ここに書かれた通りであり、
  そう書く「山田太一」さんも、私には「貴にして重い」存在だった。


  「何でも忘れる・・」と、記憶を頼りにおとといは、一生懸命、思い出そうとした。
  「検索」などという機能に頼らず、自分の記憶の中を探し求めた。


  きょう日記を検索したら、いっぱい、何度も何度も繰り返し
  書いているではないか。

    ▼検索・山田太一   ▼検索・吉野弘


  「山田太一」さんのことも、「吉野弘」さんのことも、
  「生きるかなしみ」についても、「詩の会」についても・・。


 ▼では、なぜ、吉野弘さんの詩や、山田太一さんのドラマが、
  あるときは、慰めやいたわりとなり、
  あるときは、勇気や希望となって、
  私をささえるのか?


    モラリストの面目
    ──『自然渋滞』書評
                     安西 均

    「モラリスト」という言葉は、普通には倫理学者とか道学者と
    解するが、そうでない思想界の用語では(とくにフランスの伝統では)
    人間探究家とでも言うほうがふさわしい。

    例えば、パスカルやモンテーニュをはじめ、ラ・ロシュフコーの
    「太陽と死とは、じっと見つめられない」などの言葉にしても、
    断片的ではあるが、偽りない人間観察を煮詰まらせたものだ。

    しかも、すぐれた<詩>に匹敵する言葉の力がこもっている。
    
    わたしはかねがね、日本の現代詩を代表する詩人たちのなかでも、
    吉野弘さんほど、そういう意味での「モラリスト」は少ないと考え、
    尊敬を惜しまない。

        「静岡新聞」1989年10月8日号(『続・続 吉野弘詩集』思潮社/所収) 

 ▼これを読んだとき、そうだ、二人はともに「モラリスト」なんだ、と
  あらためて気づき、私は、その詩やドラマが好きな理由を知ったように思った。

  吉野弘さんの眼差しは、山田太一さんの眼差しに似ている。
  日常、ふと足をとめ、立ち止まる場所も似ている。

  たとえば、吉野さんの詩で言えば
  「夕焼け」であったり、次の詩であったりする。

    

       夕方かけて
                         吉野 弘


     「定期持ってると、お金ははらはなくてもいいの?」
     ある日の夕方
     TBSラジオの『全国こども電話相談室』に
     小学一年生の男の子が質問している

     回答者の一人が定期券の仕組を丁寧に説明し
     子供にたずねた
     「定期って、タダで乗れる券だと思ってた?」
     「うん」と子供
     「やっぱりそうか。でも、今度はわかったね」
     「わかった。アリガトウゴザイマシタッ」 

     聞いていて、私は笑い、少し涙が出る
     なんでも質問し、なんでも答えてもらった幼年時の
     明るい日々が、今は遙かに私から遠い

     誰にも質問しない多くのことが、私にはあり
     どうにもなることではないから
     鼻歌をうたいながら台所に行き
     やおら、ビールの栓を抜く
     夕方かけての習慣なので──


 ▼昭和27年(1952年)ごろ、まだ30歳になる手前の詩人・吉本隆明は、
  私家版詩集の中の一篇「廃人の歌」(『転位のための十篇』/1958年)で
  こう歌っている。

    
     ・・・前略・・・

    ぼくはいまもごうまんな廃人であるから   
    ぼくの眼はぼくのこころのなかにおちこみ
    そこで不眠をうつたえる
    生活は苦しくなるばかりだが
    ぼくはまだとく名の背信者である

    ぼくが真実を口にすると
    ほとんど世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて    
    ぼくは廃人であるさうだ

    おうこの夕ぐれ時の街の風景は
    無数の休暇でたてこんでゐる
    街は喧噪と無関心によつてぼくの友である
  
     ・・・後略・・・

    (註:適宜、改行をしています)

  吉本隆明も、「正直」という意味ではモラリストかも知れない。

  吉本は当時、東洋インキ製造・青戸工場で働いていて、この詩集を出したころ
  労組の委員長をやっていた。 
  この年の暮れ、大きな闘争があり、吉本たち労組は敗北した。


 ▼「吉本隆明」さん(大正13年・1924年生まれ)より2つ下、
  「山田太一」さん(昭和9年・1934年生まれ)より8つ上、
  大正15年(1926年)生まれの「吉野弘」さんは、
  17歳で帝国石油に入社して、酒田の山形鉱業所で働きはじめた。
  23歳のとき労組専従をやり、昭和27年、26歳のとき、「I was born 」を
  書いた。

  そして、昭和48年(1973年)、次のような「」を書き、ことし一月、
  享年87歳で亡くなった。


     祝婚歌

   二人が睦まじくいるためには
   愚かでいるほうがいい
   立派すぎないほうがいい
   立派すぎることは
   長持ちしないことだと気付いているほうがいい
   完璧をめざさないほうがいい
   完璧なんて不自然なことだと
   うそぶいているほえがいい
   二人のうちどちらかが
   ふざけているほうがいい
   互いに非難することがあっても
   非難できる資格が自分にあったかどうか
   あとで
   疑わしくなるほうがいい
   正しいことを言うときは
   少しひかえめにするほうがいい
   正しいことを言うときは
   相手を傷つけやすいものだと
   気付いているほうがいい
   立派でありたいとか
   正しくありたいとかいう
   無理な緊張には
   色目を使わず
   ゆったり ゆたかに
   光を浴びているほうがいい
   健康で 風に吹かれながら
   生きていることのなつかしさに
   ふと 胸が熱くなる
   そんな日があってもいい
   そして
   なぜ胸があつくなるのか
   黙っていても
   二人にはわかるのであってほしい

  
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