●2014年03月02日(日) 曇り
▼きのうのことだ。
寝ていると、何やら人の話し声が無理矢理に入ってくる。
どうしたことだろう、と思うがどうしようもない。
頭の中で、その声を聞くともなしに聞いていると
会話は、犯人をめぐって推理をしているようである。
闇の中にも薄ら明かりで、ぼんやりと二人の話している様子が
わかる・・。 声がしだいに確かになってくる。
そして、はっきりしてきて、
「あっ、テレビ・・!」と気づいて目が覚めた。
▼横に妻がいて、サスペンスを観ていた。
時計を見ると、もうとっくに昼を過ぎていた。
朝の連続ドラマ『ごちそうさん』を見終わり、9時からの団地掃除までの
時間、ひとねむりしようと横になった。
「あんた、よう寝とったから、アタシが掃除当番、かわりに出たんだよ」
妻は、そういって、「何食べる?」と台所にたった。
▼一週間ほど前、ある人が「日記」に、山田太一の随筆『闇の話』について
書いていた。
随筆は、たとえば、明治時代に日本にやってきた版画家で、英国人の
エリザベス・キースという人の「鎌倉大仏」の絵について書いてあって、
その絵では、大仏の膝元に小さく男と少年がいる「夜景」を描いている。
絵の中には、提灯が二つ光っているだけで、灯りは小さく、その明かるさは
ほとんど周囲におよばない。鎌倉の大仏は全体を青く大きく描かれ、後背
には森があって、これも暗くて黒い・・。
そしてこの絵の「暗さ」について、明治の頃、「闇の濃い時代」の闇の感覚は、
今よりずっと闇の濃さの差異に敏感であったろう、と山田太一は書いていた。
▼随筆集『逃げていく街』に収められている文章で、私もこの「本」を読んだ。
が、『闇の話』は全く印象に残っていない。私のことだから飛ばし読みで、実は
読んでいないのかもしれない。
で、「本」を探してきて読んでみた。でも、やはり、読んだという記憶の
痕跡が何もない。
そして、自分の「暗ら闇」や「薄ら闇」のあった、幼い頃を思い出した。
▼祖母に連れられ、寺に行った帰りだろうか。
バス路から村路に入り、日が暮れてきた。
ロクダセの坂を下り、こんどは上る。その頃には、日もとっぷりと暮れ
もう暗ら闇である。
谷間に人家はなく、なんの灯りもない。
月は出ていたはずだか、その明るさもわずかだった。
上りきると道は平坦になり、坂道より少し明るい。
手をひかれ、よちよち歩いていたのかもしれない。
三千治ちゃんの家の前まで来たら、我が家の灯りが谷の向こうに
見えた。
そこから、だんじり小屋を通り、前池の土手の横を歩いて、家に向かう。
祖母は、その辺りの道を「じゅるい」と言って私に注意を促した。
▼「じゅるい」とは土地の言葉で、「ぬかるんでいる」という意味である。
牛に引かせた荷車が通り、道の脇は雨が降ると水溜まりができた。
祖母は、白く光る所を選んで歩くように言った。
道は簿明の中で、うっすらと白く見える。まわりは黒々とした竹藪と
池の土手だった。
灯りと言えば、裸電球や二股ソケット。「ワット」でなくて「燭」の時代。
家の前で、影踏みをしたし、ホタルも飛んでいた。
そんなことを思い出して、その人の「日記」に短いコメントを書いた。
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