mixiユーザー(id:1040600)

2014年03月03日02:09

30 view

■簿明

●2014年03月02日(日) 曇り

 ▼きのうのことだ。

  寝ていると、何やら人の話し声が無理矢理に入ってくる。
  どうしたことだろう、と思うがどうしようもない。
  頭の中で、その声を聞くともなしに聞いていると
  会話は、犯人をめぐって推理をしているようである。

  闇の中にも薄ら明かりで、ぼんやりと二人の話している様子が
  わかる・・。 声がしだいに確かになってくる。

  そして、はっきりしてきて、
  「あっ、テレビ・・!」と気づいて目が覚めた。

 ▼横に妻がいて、サスペンスを観ていた。
  時計を見ると、もうとっくに昼を過ぎていた。

  朝の連続ドラマ『ごちそうさん』を見終わり、9時からの団地掃除までの
  時間、ひとねむりしようと横になった。

  「あんた、よう寝とったから、アタシが掃除当番、かわりに出たんだよ」

  妻は、そういって、「何食べる?」と台所にたった。


 ▼一週間ほど前、ある人が「日記」に、山田太一の随筆『闇の話』について
  書いていた。

  随筆は、たとえば、明治時代に日本にやってきた版画家で、英国人の
  エリザベス・キースという人の「鎌倉大仏」の絵について書いてあって、
  その絵では、大仏の膝元に小さく男と少年がいる「夜景」を描いている。

  絵の中には、提灯が二つ光っているだけで、灯りは小さく、その明かるさは
  ほとんど周囲におよばない。鎌倉の大仏は全体を青く大きく描かれ、後背
  には森があって、これも暗くて黒い・・。

  そしてこの絵の「暗さ」について、明治の頃、「闇の濃い時代」の闇の感覚は、
  今よりずっと闇の濃さの差異に敏感であったろう、と山田太一は書いていた。


 ▼随筆集『逃げていく街』に収められている文章で、私もこの「本」を読んだ。
  が、『闇の話』は全く印象に残っていない。私のことだから飛ばし読みで、実は
  読んでいないのかもしれない。

  で、「本」を探してきて読んでみた。でも、やはり、読んだという記憶の
  痕跡が何もない。

  そして、自分の「暗ら闇」や「薄ら闇」のあった、幼い頃を思い出した。


 ▼祖母に連れられ、寺に行った帰りだろうか。
  バス路から村路に入り、日が暮れてきた。
  ロクダセの坂を下り、こんどは上る。その頃には、日もとっぷりと暮れ
  もう暗ら闇である。

  谷間に人家はなく、なんの灯りもない。
  月は出ていたはずだか、その明るさもわずかだった。

  上りきると道は平坦になり、坂道より少し明るい。
  手をひかれ、よちよち歩いていたのかもしれない。

  三千治ちゃんの家の前まで来たら、我が家の灯りが谷の向こうに
  見えた。

  そこから、だんじり小屋を通り、前池の土手の横を歩いて、家に向かう。
  祖母は、その辺りの道を「じゅるい」と言って私に注意を促した。


 ▼「じゅるい」とは土地の言葉で、「ぬかるんでいる」という意味である。
  牛に引かせた荷車が通り、道の脇は雨が降ると水溜まりができた。

  祖母は、白く光る所を選んで歩くように言った。
  道は簿明の中で、うっすらと白く見える。まわりは黒々とした竹藪と
  池の土手だった。

  灯りと言えば、裸電球や二股ソケット。「ワット」でなくて「燭」の時代。
  家の前で、影踏みをしたし、ホタルも飛んでいた。

  そんなことを思い出して、その人の「日記」に短いコメントを書いた。


  
5 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する