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2014年02月17日07:42

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■「日記を読む愉しみ」 (5)

●2014年02月17日 (月) 晴れ?

 ▼ 『平生釟三郎日記』第6巻 附録 から

   日記を読む愉しみ
                 片野真佐子

   三

  そんなとき、私は、心でひそかに先生と呼ぶ女性に出会った。
  日ごろから近代文書に慣れ親しんでいる研究所の研究員の方で
  ある。

  私が下読みをして、わからなぃ箇所を教えていただく。
  逆もある。先生がしてくれた下読みを私がなぞる。

  どちらの場合も、わからない箇所はある。
  文書をひっくりかえしたり、裏返したりする。すると、先生は、
  しばらく寝かせておきましょうという。

  別の時間に違った目で見るということだ。
  先入見を払拭し、違つた視点から見なおす。また、その文書の
  書かれた日時から推定する。

  そのときに書き手がどんな状況に置かれ、どんなことを考えて
  いたか、年表を繰り、雑誌や新聞などを繰りし、何をしていたかを
  頭に入れて、もう一度見る。

  くずし字の辞典類は、実際の文書から採取した字を用例として紹介
  したものだから、書き手本人の文字と完全に合致するわけではない。

  何度も、時間を置いて見直す。音読する。すると、ときどき字が
  天から降つてきたように感じることがある。
  書き手の姿が目に浮かぶようだ。

  何とも形容しがたい摩訶不思議な瞬間。まるで天使が耳元で囁いて
  くれたような感じだ。



  だが、決して、実際はそのような神秘的なものではない。
  たいていは五行先に同じようなかたちの文字があったことを発見
  したとか、一週間前に目にした別の書簡に、同じ筆使いがあった
  とかいった他愛のない類である。

  でも大事なのはそのひと文字だ。 ひと文字読み違えるとひとつの
  書簡や日記の全体に影響が出る。

  先生はいった。意味が通らないところは間違えですと。
  けだし至言であり、最後は、この言葉が頼りである。




  平生は、毎日、毎朝、日記を書き続けたという。
  抜けている日を探すのが困難なくらいだ。

  几帳面に日々を重ねた人間、記憶力のよい人間、苦境を克服した
  人間たちに共通して、明治・大正・昭和を生き抜いたひとびとは、
  幼時体験を心に刻み、学生時代に刻苦勉励した経験と、 底知れない
  教養を下敷きに日記を記す。

  ましてや明治国家と盛衰をともにして西欧世界と対峙した人間で
  あれば、その思考の幅は広かろう。
  読み手の側は不意を突かれた状態になる。

  加えて、忠君愛国を旨とする平生の皇室関連の用語は多彩である。
  さらに平生日記後段の四カ国語におよぶ横書き欧文の解読は想像
  するだけでも厳しそうだ。

  平生本人を含め、だれもが否定しない稀代の悪筆ぶりは、時代と
  ともに激しさを増していくように思われる。



  明治末年から大正デモクラシー期に、平生は関西に根を下ろしなが
  らも、政界、言論界への関心を抱いた。
  ひとは二〇歳までは他力によって生き、 四〇歳までは自力によって
  生き、 それ以上は自力によって立つとともに他に力を藉(か)すべき
  であるという人生観を所持するにいたり、 平生は教育の世界に足を
  踏み出した。

  清新なその文体に触れて、私は、平生がまるで日記を書くために生き
  ているようだと感じた。

  日記を書く決意をした平生が1914年(大正3年)1月12日の桜島
  の大噴火に遭遇したことも単なる偶然ではなかろう。

  溶岩流出で大隅半島と地続きになり死者35人、二日後には東京にも
  飛灰した。平生は自然の猛威の前になすすべをもたない人間の非力を
  感じた。

  しかしそれと同時に、自然を生きる人間は常に謙虚さを失ってはなら
  ないとも思った。

  この思いが教育者平生の原点となったのではないか。
  実に32年に及ぶ.日記の序章を飾るできごとであった。
  ここから新しい世界が広がったのだと思うとわくわくする。

'         (かたのまさこ・大阪商業大学教授)

   (了)



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