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2014年02月13日23:14

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■順不同(19) / 「雪の日」幻想

●2014年02月13日 (木)

 ▼山田風太郎『死言状』(小学館)
  
  この中に「年表の空間世界」という文章があって、
  「あれっ、やっぱりこんな事、してたんだ」と
  納得した。


  年表の空間世界

   仕事上、年表はよく見る。
   見るどころか、仕事用の年表を作ったりする。
   自分の作る物語に登場する歴史的人物――数人から十数人の──
   年譜を数段に分けて、一覧できるようにする。

   ときにはそのなかに、
   自分の作り出した架空人物も書きいれる。
'
   年表を見るのは、ある事件の時間的経過を知るためだが、
   右のような作業をしていると、
   その目的だけでなく、歴史に空間的興味をいだく習性が生じた。

   同時代、あるいは同年同月に、だれとだれが何をしていたか、
   を知る面白さである。

   数年前、「同日同刻」という題名で、
   太平洋戦争の最初の一日と最後の十五日の、
   日米双方の指導者、将軍、兵、民衆の言動を
   ドキュメントとして書いたことがあるが、
   それもこの興味からである。


   先日も、江戸初期の年表を見て.

    一六三三年(寛永十年)   黒田騒動断罪、駿河大納言自刃。
    一六三五年(寛永十二年)  伊賀上野の仇討ち。
    一六三七年(寛永十四年)  天草の乱起る。
    一六三九年(寛永十六年)  大久保彦左衛門死す。 .
    一六四五年(正保二年)   宮本武蔵死す。沢庵和尚死す。
    一六四六年(正保三年)   柳生但馬守宗矩死す。
    一六五〇年(慶安三年)   柳生十兵衛死す。
    一六五一年(慶安四年)   徳川家光死す。由比正雪事件起る。

   など、わずか二十年足らずの間に、「時代小説」の事件や主人公たちの
   名がつらなって出てくるのに、やはりこの時期は、
   日本の「花咲ける武士道の時代」であったのだなと、
   あらためて感心した。


   書架を見ると、いろいろな種類の年表類がならんでいるが、
   私が最もよく利用するのは、岩波の『近代日本総合年表』と、
   同『日本史年表』である。

   特に『総合年表』は、「政治」「経済・産業・技術」「社会」
   「学術・教育・思想」「芸術」「国外」と、
   六項日にわけて、一覧の下に見くらべられるのでありがたい。


   世には鉄道の「時刻表」に特別の興味を持って、
   それを見て飽きない人が少なくないというが、
   年表の面白さはその比ではなく、何も仕事に関係なく、
   どこかひらいた二頁を見ているだけで、
   数時間の無為を消すことができる。

   この稿を書くにあたって、
   ふと私の生まれた大正十一年(一九二二年)は、
   どんな年だったのだろうと、
   ついでに『総合年表』を見たら、

     1月      芥川龍之介「藪の中」(「新潮」)発表。
     6月20日   摂政裕仁親王と久邇宮良子女王との結婚を勅許。
     7月 9日   森鴎外没。
     7月      田園都市(株)、東京府荏原(えばら)郡洗足池・
             大岡山・調布村・玉川村一帯を田園都市として
             宅地開発に着手。
     10月14日  監獄を刑務所と改称。
     12月27日  世界最初の航空母艦「鳳翔」、横須賀海軍工廠で
             竣工(6494トン、31機搭載)。

   などの記事に、それぞれ興味津々たるものをおぼえた。

   特に日本が「世界最初」に空母を作つたとは、これではじめて知った。
   この「鳳翔」は、たしか太平洋戦争にも出没していたと思う。

   ところで『総合年表』には右のごとく書かれているが、
   実はその少し前にイギリスが空母を作っていたらしいですゾ。


   この年表は至れりつくせりで、記述にいちいちの典拠文献が
   明示されており、それによるとこの記述は『造艦技術の全貌』
   という本によったらしいが、 私はピーター・ヤング『第二次大戦事典』  
   (原書房刊) によった。
   どちらが正しいのかわからない。


   それから『総合年表』で何よりありがたいのは、
   明治五年以前、日本は陰暦を用いていたのだが、
   この年表ではそれを陽暦に換算して、
   陰暦はイタリックで附記してあることである。

   昔のことを書いて、ふと失念してしまうのは、
   当時の夜の暗さと、是による距離感と、それからもう一つ、
   季節感である。

   季節感というのは、 昔の記述は陰暦で書いてあるのに、
   うっかりいまの陽暦で考えてしまうのである。


   たとえば赤穂浪士の討入りの際、 雪がふっていたかどうかが
   間題にされたことがあったが、その実否はともかく、
   東京で十二月十四日に大雪がふるのは珍らしいのだが、
   『三正綜覧』という本で換算してみると、
   陽暦では一月二十九日で、それなら大雪がふってもおかしくはない。


   ただしこの換算はちょっと面倒で、実は私の換算は自信がない。

   残念ながら『総合年表』は、嘉永六年(一八五三)以降の近代なので、
   右の赤穂義士の件は関係ないけれど、
   嘉永六年から明治五年までのことは、すべて右の『三正綜覧』によって、
   これは正確に陽暦に換算して記されているのである。


   たとえば桜田門外の変は、 このときも雪がふっていたが、
   私はそれを万延元年三月三日とおぼえているが、
   この年表によると、陽暦三月二十四日のことなのである。

   これも珍らしいが、あり得ない気象ではない。

     (以下、省略)


 ▼「ふ〜ん。『万延元年3月3日・桜田門外の変』、あれは3月24日の
   事件だったのか!」と、映画で見た、雪の中、井伊直弼襲撃の場面を
  思い出していた。

  万延元年(1860年)といえば、我が家の「茂吉じいさん」(曾祖父)の生まれた
  年である。茂吉は、万延元年一月五日に生まれているが、この「1月5日」も
  陰暦であって、陽暦ではないだろう。

  まえ、調べて書いたこともあるが、(書いたけど、内容は忘れたので・・)
  もう一度、書くと、
  「旧来の陰暦、明治5年12月3日を、新暦(陽暦)明治6年1月1日に改めた」
  ので、「明治5年12月2日」までの日付は「旧暦」表示で、「明治6年1月1日」
  以降は、「新暦」表示である。(したがって、明治5年12月3日〜31日という
  日付は存在しないのである)
   ・参照「日本におけるグレゴリオ暦導入

 ▼ここで、山田風太郎さんが、
  「ただしこの換算はちょっと面倒で、実は私の換算は自信がない」
  と言っていた『三正綜覧』の替わりに、「かわうそ@暦」こと鈴木充広さんの
  『元号年・西暦年変換』と、『新暦・旧暦変換計算』を使って、
  陰暦→新暦、新暦→旧暦(検算) をしてみよう。


 ▼まず、『赤穂浪士討ち入り』であるが、旧暦は歌の文句にあるように、
  ときは「元禄15年12月14日」で、これを『元号年・西暦年変換』で
  西暦では何年に当たるか、調べてみよう。

  
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  結果は「元禄15年」=「西暦1702年」であることがわかる。


  次に、旧暦「1702年12月14日」は、新暦では何年何月何日かを
  『新暦・旧暦変換計算』を使って、調べてみる。

  
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    入力して・・

  
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    結果は・・・

  「1703年1月30日」である。
  「元号・西暦」対照表では、「元禄15年=1702年」と固定的に定めて
  いるが、年初・年末においては、このように新暦にすると1年ずれる事もある。


 ▼結果を、山田風太郎さんと比べると、1日のずれがある。
  
   山田風太郎 元禄15年12月14日  →  1703年1月29日
   かわうそ  元禄15年12月14日  →  1703年1月30日

  「かわうそ」さんには失礼だけれど、この計算表に間違いがないか、
  逆に「新暦→旧暦」の逆算をして、検算してみると・・・

  
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  ちゃんと、「新暦1703年1月30日 → 旧暦 元禄15年12月14日」となっていて、
  計算表にあやまりはない。

  でも、実際の所、山田風太郎さんと、かわうそさんと、どちらが正しいか、
  私にはわからない。
  それでも、「年表の空間世界」にあるとおり、1月29日、30日頃なら
  雪が降ることもあるだろう。


 ▼では、『桜田門外の変』のほうであるが、これも『花の生涯』であったように
  井伊直弼・襲撃の場面は「雪」があってこそ、劇的な光景となる。

  元号を西暦に変換し、
  その西暦年で、旧暦(陰暦)の「月日」を求めると、次のようになる。

   
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   山田風太郎 万延元年3月3日  →  1860年3月24日
   かわうそ   万延元年3月3日  →  1860年3月24日


 ▼ついでに、曾祖父の茂吉の生まれた「万延元年1月5日」についても
  調べた。

  
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  結果は、「新暦 1860年1月27日 」であった。
  陽暦「1月27日」であれば、赤穂浪士討ち入りがあった陽暦
  「1月29日、30日」の、2、3日前である。

  やはり、「雪」が降ってもおかしくはない。


 ▼もし、曾祖父と、どこかで会うようなことがあれば、私は
  その日、雪が降っていたかどうか、尋ねてみたいと思う。

  おそらく、「おら、赤ん坊でわかんね!」と言うだろう。
  そしたら、しつこく「じゃあ、天保10年生まれの、じいちゃんのお母さん、
  チカさんから、じいちゃんが生まれた日のこと聞いてないの?」と尋ねてみよう。


  そして、もし、チカばあちゃんに会えたとしたら、直接、確かめることもできる。

  もしも、茂吉さんの生まれた日、雪が降っていたとしたら、私は茂吉じいさんに、
  言うつもりだ。

  「じいちゃん、雪の降る日に生まれてくるなんて、かっこいいナー!」と。


  

  

  (参考)
   ・「桜田門外の変
   ・「安政

  ※(注)「安政」と「万延」について

   「安政7年」と「万延元年」は、ともに「西暦(グレゴリオ歴)1860年」。
   安政7年3月18日(グレゴリオ暦1860年4月8日)に改元し、この日からが
   「万延元年」となる。しかし、旧戸籍では「万延元年一月」と記載がある。

   「桜田門外の変」も、正しくは旧暦「安政7年3月3日」であるが、
   山田風太郎さんでも、「万延元年3月3日」と「安政」でなく「万延」で
   記憶されている。


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