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2013年11月30日23:57

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■言葉のわからぬ身のつらさ

●2013年11月30日(土)  晴れ

 ▼一人なら、寝たが最後、
  目覚ましでもないひには、
  日の暮れまでも寝てしまい
  きょうの天気もわからない。

  目覚めて起きて、一人なら
  興赴くところ、忘我の果て
  これまた、朝啼く鳥の
  声知らず・・・。


 ▼いま、12時をまわり
  12月に突入。

  どうでもいいことに熱中して
  面白がったりして、一人で
  遊んでいる。

  大したこともないのに、
  matsubiskiさんに、大仰に思わせてはならないので、
  「日記」を書くことにした。

   --------------------


 ▼音楽音痴が「きょうの一曲!」などと、
  自分の好きな音楽や、思い出のある楽曲を
  集めるだけなら、いざ知らず、
  「音楽紹介」みたいな形で取り上げようとすると、
  一番困るのは「言葉の壁」である。



 ▼私は、音楽をただ音や声として聴きとり、
  快かったり、胸に迫ったり、うっとりしたり、
  沈思したりする。
  
  また、音楽としては決してすぐれていなくとも、
  私に過ぎた日を思い出させたり、しみじみする楽曲なども
  自分の音楽ページに集めている。

 ▼しかし、集めたものを人目にさらし、
  いっしょに聴いてほしいなー、などと思ったりすると、
  楽曲の説明に窮する。

  「音楽の知識・素養」がないからである。


 ▼なかでも、初めて聴いた音楽で、「いいなー」と思い、
  取り上げるときは、殊にそうである。

  私は「音楽音痴」と自称しているが、これは幼いころ
  父親に「お前は音痴だなー」と言われたのに起因している。

  しかし、音楽に限らず、よくよく考えてみると
  そのほかの事についても、ほとんど、何もよく知っていない
  ことに気づく。
  

 ▼音楽ではないけれど、文学でもそうである。

  私は、この「日記」で、ある作家の文章を
  「へたくそだなー」と思ってそのことを「日記」に書いた。

  その作家は、私が知らないだけで、「本」を読む人なら、
  たいていが知っていて、「××賞」ももらっている作家だそうだ。

  そんな事も知らなかったので、いただいたコメントから
  「知らないのは、自分だけ」という事を、かみしめて
  知った。


 ▼でも私は、そのあと、その作家のその文章については、
  いくら読んでみても、また、その文章がいかに「実験的」で
  あろうが、やっぱり、
  「へたくそだなー」という評価を変更することが
  できなかった。

  「コメント」の中には、それとなく、
  「もっと、よく調べ、知識を身につけてから
   ご自分の意見は書きましょうね」と、
  それとなく「助言」みたいなものも、いただいた。


   -----------------


 ▼何か迂遠な話をしているようだが、私としては
  たとえば俳句などで、名前を伏せて「選」をするように
  「音楽」であれば、ただ、私が聴き、
  「本」であれば、ただ、私が読んだ、
  その限りのことで、私が感じたものを、私が評価する。
  
  必要な知識・素養に欠けようと、自分の
  好き・嫌いを、作者や歌い手や作曲家の「名声」や
  「肩書き」で曲げることはできない。


  ただ、それだけである。

  というより、何も知識も素養もないので、
  私には、それしかできない。


 ▼もう随分前、今の「YouTube」と同じようなサービスを
  「mp3」がやっていた。

  そのときも、今みたいに、全然知らない世界のアーティストの
  音楽を、それこそ、ジャンルもかまわず聴きまくった。

  「mp3」には、当時、マドンナはじめ、アーティスト自身が
  登録し、自分の楽曲を流していて、一方では、素人・アマチュア
  バンドも登録していて、混交玉石だった。

  誰がどんな人かわからないし、英語で書いてあるし、
  とにかく、片っ端から聴いた。

  判定は速い。5秒もあったら、「ダメ、次!」という
  具合で、1日、200曲、あるいは、それ以上
  聴いた。(たった5秒のものも含めて)

  そうして、気に入るアーティストや楽曲を探した。

  そして、「自分用のコレクション」を放送局にして
  いくつかのチャンネルで流した。

  あるときは、私の開設した局のうちのひとつが、
  何10万局かある全放送局の人気度で、100位内に
  入ることがあった。


 ▼そんなことをやっているとき、
  私は、「ダイアナ・クラール」いう人の音楽に惹かれた。
  また、「ノラ・ジョーンズ」の音楽を聴いてうっとりした。

  そして、自分の放送局で、彼女たちの音楽を流した。

  が、英語の弱い私は、楽曲を選んで流すだけで、
  「ダイアナ・クラール」についても、「ノラ・ジョーズ」も、
  どんな人で、どんな作評価がされているのか、
  私は全く知らなかったし、そんなことはどうでもよかった。


 ▼ところが、ある日、西神中央の喫茶店に入って、
  しばらくすると、聞き覚えのある音楽が流れてきた。

  それは「ノラ・ジョーンズ」であった。

  また、ツタヤで「ジャズ」のCDを借りていた時、
  私はそこに「ダイアナ・クラール」を発見した。


 ▼そんなことが、あったものだから、息子に
  そのことを話すと、なんでも、2人のアーティストは
  「×××賞」も受賞しているとのことだった。

  私は、まるで無名のアーティストの中から、「新人」を
  発掘したような喜びを、そのとき感じた。

  しかし、それは、「素晴らしい音楽は私みたいな『音楽音痴』さえ、
  感動させるという事実を、証明したにすきぎない。
 



 ▼話は冗長で、長くなり、息子が聞いたら、
  「それって、自慢話か!」と、突っ込みを入れて
  きそうであるが、今回、「きょうの一曲!」で取り上げた
  「 Andrea Bocelli 」が、全くそうだった。


  ラテン音楽を「YouTube」で検索し、何か
  いい音楽はないかと、私は探していた。

  すると、たまたま『ベサメ ムーチョ(訳詞付) /
  Andrea Boceli』というのがあった。
  ・http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=EA1B_zsZcR0

 ▼「べサメ・ムーチョ」は流行ったことがあり
  私もよく知っている楽曲で、これを唱っている歌手の
  喉の良さに、惚れ惚れとした。

  この男声の音域を「テーノル」とか何とか言うのだけれど、
  私は、小学校のテストで覚えた、「ソプラノ」とか「アルト」とか
  そんな「男声・女声」と「高音・低音」の組み合わせの
  音楽用語が苦手である。


  なに語で歌っているのか、何と歌っているのか、
  さっぱりわからない。

  でも、感動する。

  それだけである。

 ▼たとえ、訳詞がそえられていても、
  その訳が適切なのか、正しいのか、
  私には、わからない。

  ただ、訳詞が「日本語」の「詩」として
  いいか悪いか、ぐらいは少しわかる。


 ▼そんなことで、
  「べサメ・ムーチョ」を歌っているこの人は「Andrea Boceli」
  と書いてある。

 (「Boceli」と「l」が、ひとつ足りない)

  この「Andrea Boceli」で、「YouTube」に登録されている
  ほかの歌がないか、私は探した。

  でも、この名前、何と読むんだろう。

  この名前を日本語のカタカナ表記にしたら
  どうなるのか、それさえわからない。

  「アンドレア・ボッセリー」なんだろうか・・?

  「ヴィーナスの誕生」だったか、あの絵は、
  「ボッチチェルリー」と習ったような気がするが、
  長母音や促音の今風表記なら、学校では「ボッチェリ」と
  いうのだろうか・・・?
  などなと、思いながら検索した。


 ▼「Andrea Boceli」で、「youTube」を検索すると、
  「Andrea Boceli」と「Andrea Bocelli」という
  二人の歌が検索で出てきた。
  ・http://www.youtube.com/results?search_query=Andrea+Boceli+&sm=12


  「l」が一つ余分にある人のものを聴くと、これが
  また、いい。


  それで、「きょうの一曲!」は、もし「Andrea Boceli」と
  「Andrea Bocelli」が同一の人であれば、この「べサメ・ムーチョ」
  と、他の3曲で合計4曲、紹介できると思った。


 ▼しかし、もし、「Andrea Boceli」と「Andrea Bocelli」が
  別人だったら困るなー、と思ってウィキペディアを調べた。

 ・「l」ひとつ
   http://ja.wikipedia.org/w/index.php?search=Andrea+Boceli&button=&title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3A%E6%A4%9C%E7%B4%A2
  ・「l」ふたつ
   http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5%3A%E6%A4%9C%E7%B4%A2&profile=default&search=Andrea+Bocelli&fulltext=Search


  ※二人が同一人物であるか否かは、あとで、次のような事から
   判明した。
  
  それは、「ベサメ ムーチョ(訳詞付) / Andrea Boceli」のページ
  ・http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=EA1B_zsZcR0
  の「概要」モードで、『アーティスト  Andrea Bocelli』と表示されて
  いる。
  このことからも、「投稿者」の綴り「Andrea Boceli」は誤りであり、
  正しくは「Andrea Bocelli」であることが判明した。




 ▼「l」ふたつ、の方に「アンドレア・ボチェッリ 」とカタカナ表記があるので、
  そちらに飛んでみた。
   ・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%AA

  「アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli 、1958年9月22日-)は
   イタリアのテノール歌手。」とあった。

  また、
  「ボチェッリのために作られた『コン・テ・パルティロ』は、後に
   タイトルと歌詞の一部を英語に改めて『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』
   としてサラ・ブライトマンとデュエットしたバージョンが発売され、
   1500万枚以上のセールスを記録した。」
  とも書いてある。


 ▼私は、またしても、「ダイアナ・クラール」や「ノラ・ジョーンズ」を
  発掘した時と、同じ喜びと感動を得た。

  そして、
  「ふむ、ふむ。ボチェッリのために作られた『コン・テ・パルティロ』
   だって。私も、この中ではこれが一番いいと思ったけど、やっぱり
   そうなんだ!」
  と、ひとりごちていた。

  ついでに、「コン・テ・パルティロ」も見てみた。
  ・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AD

 ▼な、なななな、何と、次のように書いてあるではないか。

  『ボレロ風のリズムがエネルギーの充溢を感じさせる力強い曲である。
   原題のイタリア語タイトルの「コン・テ・パルティロ」(Con te
   Partirò = With you I'm going to leave)とはイタリア語で
   「君と共に、(ぼくは)旅立つ」という意味で、英語の「グッドバイ」と
   いうタイトルゆえにイタリア以外では誤解されやすいが、実は別れの歌
   ではなく旅立ちの歌である。

   したがって結婚式で歌われることも多いが、これは決しておかしなこと
   ではない。
   ドイツではKarel Gott - Zeit zu geh'nという。』


 ▼英語も弱く、イタリア語のさっぱりわからぬ私は、

  タイム・トゥ・セイ・グッバイ(Time To Say Goodbye)

   あぁ、早や、いとまごいの時がきた。
   私は静かに旅立つ。

   ああ、君よ。
   向こうの岸のほとりにて、
   また、会うこともあるだろう。

   でも、いまは
   いとまごいの時・・・

  なんて、適当に「お別れの歌」にしていたのだ。


 ▼もし仮に、matsubiskiさんが、こんな事を書いている
  雑駁な私の「日記」を、先に読んでおられたとしたら、
  あんなに名文な「アンドレア・ボチェッリ 」を書かれずに、
  「日記」を読んでうんざりしながら、
  ひょっとして、イタリア語の「基本中の基本」についてコメントが
  いただけたのかも・・・と思ったりしたのです。(笑)

  matsubiskiさん、
  そういうことでした。


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