「へ〜、意外に片付いてるのね……男の子の部屋っぽくないわ」
少し残念そうな素振りで部屋を見渡し、部屋の真ん中に座る。
「一体何しに来たんだ?というよりなんで俺の家を知っているんだ?」
当然の疑問に答えず女が要件を切り出してくる。
「そんなことより瀬能さんのことどうするの?」
「なっ……おま……えが……」
「な、何を言っているんだ? そもそもお前があんな写真を貼り出すからこんなことになったんだぞ……って言いたいんでしょ?」
驚きのあまり絶句した俺の言葉を代弁する。
何の悪気もなく、平然と……。
「そ、そうだよ……自分からあんなことをして……痛っ!」
こちらを見もせずに平手で頬を張られる。
「ええ、そうよ……あんたがビビリでグズだからこんなことになったんだわ……その意味をわかってるの?」
まさに侮蔑という表現が似合いそうな瞳で女は俺を見ている。
「まったく東田君もヘタレだし、あんたはビビリでグズ、そのせいで瀬能さんは学校にこれず、主役は自己愛が強いだけのブスに奪われる……私の期待をどこまで裏切れば気が済むのかしら」
「ふ、ふざけるな……お前があんなツーショット写真を張り出して連中を煽ったからだろ……東田だってあんな状況じゃ庇えるはずが……」
語尾はどんどん小さくなっていく。 心まで凍りつくような女の視線に恐怖を感じてしまっているからだ。
何故……なんで俺はこの人にこんなにビビっているんだ? こいつは敵だ。 俺と優香の間に入りこんだバグ、異物……そう、東田と同じように二人の世界には必要ない存在なのに……。
「だからどうしたっていうの?嫉妬にかられた連中に罵倒されていたあの時に君は何をしていたの?東田君は何をやっていたの?」
「そ、それは……」
口ごもる。 優香が煮えたぎった悪意のスープに落ちることがわかりきっていたなかで俺は自分のエゴでそれを肯定した。
だがそれを堂々と口に出して開き直れることはできなかった。
虫けらのような俺でも腹の中の悪意を他人に言えるほどの覚悟はなかった。
「ふん……器の小さい男……、まあ東田君も同じだけどね……普段はあれだけ口が滑らかに動くのにちょっと責められたくらいで黙りこむなんて情けないわ」
憮然とひとしきり文句を言ったあとで、あらためて女が俺と向き合う。
「まあいいわ……瀬能優香を立ち直させるために協力しなさい。あなたもこの状況は本意ではないでしょ?」
確かにあの人形のように、死んでいるのと同然のような優香は見ていたくない。
地獄のような吊し上げ、リンチのような裁判、そんな風に形容できるあの状況に彼女がはまりこむことを俺は消極的にとはいえ肯定した。
そしてその結果としてさっきまで便器を抱いて汚物を吐き出していたのだ。
だが正体も知らない、なのに俺や優香そして東田のことを知り、事の顛末をも知っているこの女を信用していいものかどうか?
同時に協力することにより、俺以上にこの女が優香との関係を深めていきはしないかという手前勝手な理屈も湧いてくる。
だがそんな俺の心底を見抜いてか、飽きれたようにため息をついて女が自身の携帯を差し出す。
画面上ではメールボックスが開かれていて、そこには俺には見せていない優香の苦悩が刻まれていた。
人と話すのが怖い。 周りの自分を見る視線が怖い。 周囲の人間を信頼できない自分が怖い。 途方もない悪意が自分を切りつけるのが怖い。 そんなようなことがメールには打たれている。
さらに読み進めると、恋人である恭君を信用できない自分が嫌い。 恭君を信用できずにやった行為をした自分が嫌い。
それなのに許してくれた恭君の期待を裏切るのが怖くて努力しても結局どうにもできなかった自分が嫌い。
そしてメールボックスの最上段、日付は今日。 時刻はちょうど俺が帰った時くらいだ。 そこに書かれた文面は、
『もうこのまま消えてしまいたい』
一言だけ書かれたその言葉で、優香の絶望がはっきりと見て取れた。
ああ、こんなことなんて望んでいなかったのに……。 俺は俺自身の小さな希望のために最愛の人である彼女を壊してしまったのか。
涙は出なかった。 強い罪悪感と自分自身に対する怒り、そして優香を騙すことだけに集中していて、彼女の心が壊れていくのに気づかないでいたという無力感がごちゃまぜになった不思議な気持ちだった。
「それで……君はどうするのかしら?」
冷静な口調で女は問いかける。
答えはわかりきっているというのにまったく嫌味な女だ。
そして乗せられていると分かっていても俺はこの言葉を出す以外の選択肢が無い。
「決まってるだろ……優香をもう一度蘇らせるのさ」
たとえ乗せられているとわかっていても、女に思惑があったとしてもそれでも今のままよりは万倍、いや億万倍マシなのだから……。
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