●2013年10月28日(月) 晴れ
▼ジョージ・ルーカス監督/脚本の映画『
アメリカン・グラフィティ』が
日本で上映されたのは、制作の翌年、1974年のことである。
▼映画は、アメリカ人の誰もが持つ高校生時代の体験を、
青春時代の甘味なエピソードとともに、タイトル通りに、
「落書き(グラフィティ)」のように綴った作品である。
1962年の夏のある日、サンフランシスコ郊外の町で、
新たな旅立ちを翌日に控えた登場人物たち・高校生の
夕方から翌朝までを描いた、いわゆる「ワン・ナイト」もの
である。
まだ、ベトナム戦争が始まる前の、よきアメリカ・「楽しい
時代」を描いていて、映画は興行的に大成功を収めた。
また、1995年には、アメリカ国立フィルム登録簿に永久
保存登録された。
※「全画面表示」でご覧ください。
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▼「Where were you in '62?」。
アメリカで初公開のとき、映画『アメリカン・グラフィティ』は、
キャッチコピーで「1962年、あなたはどこにいましたか」と
問いかけた。
1962年、夏。
私は、日本の宮崎の高校2年生であった。
これは1963年の夏だろうか。
仲間で都井岬に行った。
学期末のテストが終わると、
体育館で「ダンス・パーティー」が
生徒会の主催で行われた。
輪になって、「マイム・マイム」や
「オクラホマ・ミキサー」を踊った。
最後は、二人で踊るボックス「蛍の光」だった。
▼映画の制作された1973年、1月には、アメリカと南ベトナム、
北ベトナム、南ベトナム臨時革命政府の4者は、ベトナム和平協定に
調印した。
が、10月には、第4次中東戦争が勃発した。
人々は『アメリカン・グラフィティ』に自分を重ね合わせると同時に、
映画は、戦争のトラウマを別の面から浮かび上がらせた。
▼翌1974年、日本では前年の「石油ショック」を受け、春闘は
大荒れに荒れた。
猛烈なインフレに、日本のあらゆる町、あらゆる工場でストライキが
決行された。
春闘の平均賃上げ額は、実に2万8,981円、32.9%に及んだ。
が、これを最後に、以降、日本ではストライキが消えた。
▼この年、映画『アメリカン・グラフィティ』で、、
10年も前に、週末の夜、親の車を持ち出してドライブする高校生の、
男の子や女の子を見て、私は日本とアメリカの、彼此の違いを
はじめて知った。
映画を観たのは、72時間ストライキを構えていて、たった1日で
「スト中止」の指令があって、それからしばらくたった頃だ。
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