●2013年08月21日(水) 晴れ
▼いま、高校野球を見ている。
準決勝第2試合「花巻東(岩手)−延岡学園(宮崎)」である。
今大会では、朝ドラ『あまちゃん』のテーマがよく演奏されている。
2回の表・裏が終わり、両チームまだ得点がない。
この「日記」を書き終わるころには、もう試合の結果は
出ているかもしれない。
▼高校生のころ、夏の県予選で、県営球場に応援に行ったことがある。
50年も前のことで、その試合は勝ったのか、負けたのか、
覚えていない。
覚えているのは、炎天下、ただ暑かったこと。
ピッチャーは同級生で、女生徒に人気があったように思う。
新聞部では、3面「文化・スポーツ記事」の担当者は、
「スコアブック」のつけ方を習ったが、1面担当の私は
覚えなかった。
▼私のよく覚えている試合は、1957年(第39回大会)の2回戦、
「埼玉県代表の埼玉県立大宮高等学校と宮崎県代表の宮崎県立宮崎
大宮高等学校が対戦し、延長10回の末、7対6で埼玉の大宮高校が
勝利」と、ウィキペディアでも「
同一校名対決」として、
紹介されている試合だ。
昭和32年の夏、まだ家にはテレビがなく、ラジオで聞いた。
宮崎大宮には、たしか「鮫島」という選手がいたはずだ。
早稲田実業の王貞治投手が、ノーヒットノーランを達成したのも、
この「
第39回大会」だった。
▼4回を終えて、両チームとも、走者を出しても
まだ得点がない。
波に乗るとき、疲れが出るとき、
試合は動く。
それは、微妙であり
必然とも、偶然とも言い難い。
▼最近では、インタビューで「試合をたのしみたい」と答える
選手はめずらしくない。
しかし、正直言うと、私はこの言い方が嫌いだ。
とくに、若者がいうとき。
なぜなら、「結果」と「プロセス」の関係は微妙だからだ。
私自身は、若者だったときも、働き出してからも、
ずっと長い間、「努力」や「誠意」や「一生懸命」という「過程」が
大切だと思ってきた。
しかし、いまでは「結果がすべて」という考え方も広く採用されている。
▼若者は、どんな考えで「試合を精一杯、楽しみたい」などと
平気で、言うのだろうか。
どんな「結果」であろうと、あとで「楽しかった」と思えるのは、
「結果がすべて」と必死で頑張る、その「プロセス」にあるのかもしれないが、
私たちの時代には、「試合をたのしみたい」などという余裕はなかった。
そんなことを考えながら、「日記」を書いているうちに、
試合は、いま終わり「
結果」が出た。
▼ところで、「夏の甲子園」では、
第75回記念大会以降、大会で使われるキャッチフレーズを
朝日新聞社が、一般の高校生から公募しているそうだ。
2005年(第87回大会)は、「君に見せたい夏がある」だった。
どんな「結果」であろうと、あとで「楽しめる」ものにしたい、
と思うのは、何も高校野球に限ったことことではない。
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