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2012年12月27日23:55

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■子規 「命のあまり」(2)

●2012年12月27日(水)  晴れ

 ▼寒さは昨日よりマシ。
  仕事は明日一日となった。「緊急連絡先」を掲示し、全戸配布した。
  明日は掲示板の『ごみ出しカレンダー』を「2013年1月」のものに
  張り替える。

  昼休み、きょうも、今泉恂之介『子規は何を葬ったか  空白の俳句史百年』
  (新潮選書)を読む。
  
  「本屋閉ズ」で書いたように、紀田順一郎『カネが邪魔でしょうがない
   明治大正・成金列伝』や、本郷恵子『蕩尽する中世』、山折哲夫『義理と人情
   長谷川伸と日本人のこころ』など、この選書は私にとって「当たり」の「本」の
  ひとつ。

 ▼「兆民と子規」のことを書きはじめて、もう十日は経ってる。
  私にとって、「もう、半分は解決したようなもの」で、いつ止めてもいい
  ことだけど、引用だけの『命のあまり』に「イイネ!」をつけていただき、
  私は俄然、張り切ってしまう。




▼講談社『子規全集 第十二巻』(昭和50年10月20日刊) から

  ■命のあまり          規
           (二)
    『一年有半』を評する人の言葉に、余命一年半という医者からの宣告を
   受けながら、尚お筆を執って此の書物を書き、苟(いやしく)も命のある間は
   天職を尽くして居るという事は、感ず可(べ)き事であるなどと、褒(ほ)めて
   居るのがある。

   之(こ)れは見当違いの褒辞であって、余も屢々(しばしば)此の論法で褒められ
   甚(はなは)だ迷惑した。

   六十にも余(あま)って腰の屈(かが)んでヨチヨチした爺さんが、毎日毎日
   手弁当を提(さ)げて、役所か会社へ欠勤なしに勤めているのを見て、
   此(こ)の爺さんは此年(このとし)になっても、尚お天下国家の為に尽くして
   いる感心な爺さんである、と褒(ほ)めて見たらドウしても滑稽に聞こえるで
   あろう。

   爺さんの胸中には、固(もと)より天下国家もあるわけでは無い。
   一日でも欠勤して日給が取れなければ、爺さんの腹は空(から)になるので
   ある。
   如何(いか)に苦しくとも、爺さんは出勤しなくてはならぬのだ。

   吾(われ)々が病躯(びょうく)を忍んで下らない事を書き立てるのは、
   此爺さんの如く生活の必要が逼(せま)っている為で無いとして見ても、
   少なくとも気晴らし為(た)めに無聊(ぶりょう)を消す為めに、唯(た)だ
   黙って寝て居るよりも何か書いて居る方が余程愉快なのである。

   試みに兆民居士の身の上に成(な)って見玉(みたま)え、病気は苦しい、
   一年半の宣告は受ける、今は人間万事皆(みな)休矣(きゅうす)の有様
   (ありさま)で、最早(もはや)世の中に向かって何の希望も持つ事は出来ぬ、
   やりかけた事業を続ける事も出来ねば、固(もと)より新しい事業を起(おこ)す
   事も出来ぬ、唯(た)だ徒(いたずら)に手を拱(こま)ぬいて一年半の後を
   待って居るような有様(ありさま)になる。

   此(この)時に当(あた)って、兆民居士如何(いか)に哲学上からあきらめた
   としても、為(な)す事も無き儘(まま)に、一人つくづくと過去未来を
   考えて見たらば、必ずや幾多の感慨は胸に迫って悲しいような、心細い
   ような、何となく不愉快な感じが続々と起って来るに違いない。

   此の不愉快な感じを起させぬようにするには、文楽座の義太夫もよかろう、
   併(しか)しながら胸中に多少の文字のある者ならば、筆を執(と)って書きたい
   事を書きちらす程愉快な事は無い。

   兆民居士が『一年有半』を書いたのも、天職を尽くしたのでも何でもない。
   要するに、病中の鬱(う)さ晴らしに相違あるまい。

   余がくだらない出鱈目(でたらめ)を書くのも、固(もと)より外(ほか)ではない。

   其(そ)れを多くの人が解しないと見えて、余に向かってアンナに書いては
   苦しいであろうなど言って、挨拶をしられる。
   成程(なるほど)少し長い文章などを書いて、それが幾らかの苦痛を感ずる
   事は珍しくない。
   併(しか)し、其の小苦痛の為めに病気の大苦痛は忘られて居る事が多い。

   よし自分に書く時の苦痛は如何に強くても、其苦痛の結果が新聞雑誌などの
   上に現れる時の愉快は、能(よ)く書く時の苦痛を銷(け)すに足るのである。

   『一年有半』が六七万部も売れたと聞いた時には、兆民居士も甚(はなは)だ
   愉快に感じたのであろう。

   たとえ原稿を書く時の苦痛があっても、又(ま)た実際の実入(みいり)は
   余り豊稔(ほうねん)でなくとも、ソンナ事は少しもかまわぬ。
   唯(た)だ『一年有半』が売れたという事の愉快を博したという事が
   病人に向(むか)って此上(このうえ)もない報酬である。
   其処(そこ)へもって天職論などを舁(かつ)ぎ出されては、寧(むし)ろ
   著者の迷惑であろう。
      (新聞『日本』  明治34年11月23日 掲載)



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