●2012年12月15日 (土) 雨
▼起きたら、雨。
大倉山の図書館に行こうか、とも思っていたが
まぁいいや、となった。
「兆民と子規」のことで、『一年有半』を読みたいと
思ったからで、それも、私の関心の半分は晴れたので
「兆民と子規」は、いつお仕舞いにしてもいい。
もともと自分の「メモ書き」として始めたのであるが、
実際の二人の死にようと、その二人が書いたものを比較した文章に、
気になることがあったためだ。
▼ことの起こりは、子規が「日記」である『仰臥漫録』に、
「兆民居士の『一年有半』といふ書物世に出候よし新聞の評にて材料も
大方分り申候 居士は咽喉に穴一ツあき候由われらは腹背中臀ともいはず
蜂の巣の如く穴あき申候 一年有半の期限も大概は似より候ことと可申候
しかしながら居士はまだ美といふ事少しも分らずそれだけわれらに劣り可申候
理が分ればあきらめつき可申美が分かれば楽み出来分れば可申候
杏を買ふて来て細君と共に食ふは楽みに相違なけれどもどこかに
一点の理がひそみ居候
焼くが如き昼の暑さ去りて夕顔の花の白きに夕風そよぐ処何の理屈か
候べき」
（『仰臥漫録』：明治３４年１０月１５日）
と書いたところから始まる。
▼岩波文庫から引用して原文を生かしたが、角川ソフィア文庫では
「申候」を「申し候」(もうしそうろう)、「可申候」を「申すべく候」
(もうすべくそうろう)、「居候」を「居り候」(おりそうろう)のように
送り仮名をふり、岩波文庫がルビだけのところを読みやすくしている。
子規は、『仰臥漫録』では、ときに口語体やメモ風に書き、あるときは
候文で書いている。もちろん、それには「美」を意識する子規の配慮が
働いており、「日記」といえどもおろそかにしていないはずだ。
福田和也『贅沢な読書』で、こう云っている。
子規は、『病牀六尺』などに一番よく出ていますが、身も蓋もなく、
自分の窮状を出していく。正直というのとはまた少し違いますが、
率直な格好をつけないところを、思い切りよくそのままに打ち出して
いく。そういう子規の姿勢というのは、彼の文学論の骨子である「写生」
と一致している。
『仰臥漫録』という子規の最晩年の文章には、子規にとっての写生文と、
それが見出した身体が鮮明に描出されています。
たとえば、中江兆民を論じているいるところ、中江兆民自身、かなり
面白い人なんですけれども。
ルソーをはじめとする啓蒙思想の紹介者であった彼は第一回の選挙で
自由党から選挙に出て当選して、ふた月すると議員を辞めてしまって
それから浪人生活をして、その後非常に困窮していく。
晩年結核になって、彼は胸のほうのカリエスですね。それで骨が
腐って咽(のど)に穴が空くという症状になる。
それであんたの寿命はあと一年半だよと医者に云われたことを逆手に
とって、『一年有半』というエッセイ集を出して、これが大当たりする
わけです。
それに対して、子規は、以下のように云う。
居士は咽喉に穴一ツあき候由われらは腹背中臀(はらせなかしり)
ともいはず蜂の巣の如く穴あき申候 一年有半の期限も大概は
似より候ことと存候 しかしながら居士はまだ美といふ事少しも
分からずそれだけわれらに劣り可申候(もうすべくそうろう)
・・・・・
と、先に引用した１０月１５日の『仰臥漫録』を引用する。
▼もし、『仰臥漫録』という「日記」が人目にふれなかったら、今ほど人は
「兆民と子規」の死にようと、二人の文章を比較することもなかったであろう。
というより、兆民の『一年有半』がベストセラーとなり、それに子規が
関心をを抱かなかったら・・、と云うべきかも知れない。
▼兆民が、子規の死にざまについて云々したのではない。
子規が、『一年有半』の批判をし、その批判は、兆民の「死によう」をも
批判するような形になっている所にある。
子規は、日記にだけでなく、公の場でも『一年有半』批判を行った。
新聞「日本」に、１１月２０日、２３日、３０日と３回にわたって批判を
掲載した。
「死にかゝつて居る病人が書いたといふものを、いくら悪口ずきの新聞記者でも
真逆に罵倒するわけにもゆかず、恰も死んだものが善人も悪人も一切平等に
「惜哉」とほめられるやうな格で、「一年有半」も物の見事にほめあげられた
のである。
此間にあつて若し「一年有半」を罵倒する資格（チト変な資格だが）があるもの
を尋ねたら恐らくは予一人くらいであらう。死にかゝつて居るということは
両方同じことで差引零となる。たゞ先方が年齢に於ても智識に於ても先輩で
あることだけが評しにくい所以であるが、その替り病気の上に於ては予の方が
慥(たしか)に先輩である」
▼『命のあまり』と題された、子規のこの文章は、兆民の『一年有半』の中に書かれた
詩や和歌や俳句についての、兆民の理解の欠けることを批判した『文芸批評』が
主であろうと思うが、おそらく、この子規の文章だけでは、後世、「兆民と子規」を
ならべ、死につつある人の書いた「文章」あるいは、その「死によう」「死にざま」
を論評するような視点は、生まれなかっただろう。
なぜなら、兆民に誰も「詩歌」の批評をたずねようとは、思わないからだ。
兆民の「詩歌」に対する理解が誤っており、その誤った理解を『一年有余』で
述べていて、それを子規が指摘した、といっても、それは当然の事であって、
後世の文芸評論家の眼には、ちっとも面白いことではない。
▼いま目にする「兆民と子規」の大方は、「子規」の『仰臥漫録』や『病牀六尺』を
論評するために、兆民の『一年有半・続一年有半』をひきあいに出しているが、
「兆民の死」そのものに、それほど関心があるわけではない。
「死は死」であって、他人の「死」ではない。
目くそ、鼻くそを笑い、どっちが痛いか苦しいか、
そんなのを争い、比較をしても、何の意味もないのは勿論のこと、
死につつある人間の、その「死によう」「生きよう」をどんなに「批判」しても、
それは「他人の死」であって、人は「自分の死」を死ぬだけである。
▼私が「兆民と子規」に関心をもったのは、早坂暁さんの文章を読んだからだ。
復本一郎『子規とその時代』、関川夏央『子規、最後の八年』、福田和也『贅沢な
読書』、いずれも「兆民と子規」にふれて、兆民の『一年有半』が出てくる。
しかし、『一年有半』は子規のために登場するのである。
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