●2012年12月09日(日) 晴れ、風強く外寒し
▼きょうは外へ一歩も出ていない。
風強く外寒し、とは
学校に行った帰りに、我が家に寄ったチカの弁である。
ジャガイモ・タマネギは重たいので、今度、ショウが車でやってきたとき
渡すことにした。この寒さと冷え具合なら、ものは正月までは充分もつ。
昼メシは、と聞くと「家に帰って食べる」という。
妻はアイロンでダウンコートの皺を伸ばして、「こっちを着て帰り」と
着て来たコートを袋に詰めて、若者向けの店で買ってきたというコートを
チカに着せてみた。
色白で、にこっと笑うと
少し落ち着きが出てきたように思う。
アツシの分の小遣いと、いつものようにお土産を渡し
ホットココアを飲んで、チカは帰った。
▼忘年会で仲間の片肺切除の話を聞き、神戸の喉頭癌の叔父の
ことを思ったりして、どこかで読んだ話を思い出そうとしたが
なかなか思い出せない。
たしか、中江兆民の『一年有半』と、正岡子規の『病牀六尺』か
『仰臥漫録』に触れて書いていたはずだ・・。
山田風太郎『人間臨終図鑑』の兆民と子規の項を見るが、
この文章ではない。
長谷川櫂『俳句的生活』には、『墨汁一滴』『病牀六尺』に触れて
子規の最期となった糸瓜(へちま)の句をあげているが、これでもない。
私が読んだ「本」で、人の死にようを比較するみたいなことを書く著者といえば、
出久根達郎、福田和也、関川夏央・・などだが、探して見たが
どの「本」にもなかった。
▼それが、ひょんなことで見つかった。
「
ブック・アサヒ・コム」である。
このサイトは、以前は「asahi.com」の中に「エンタメ」「ブック」「たいせつな本」
という下位のメニューが設けられていてた。
しかし、現在「
asahi.com」にアクセスすると、「エンタメ」「ブック」のサブメニューは
あるけれど、「ブック」を選択すると、上記の「ブック・アサヒ・コム」に
飛んでしまって、「思い出す本・忘れない本」や「書評・コラムを読む」
「本に出あう」「みんなの本棚」というメニューはあっても、「たいせつな本」は
なくなってしまっている。
▼しかし、削除もれなのかどうか、知らないけれど、
asahi.com>エンタメ>BOOK>たいせつな本>記事
という、下位のメニューで生きているものがあった。
それは、早坂暁さんの「たいせつな本」であった。
・中江兆民『一年有半・続一年有半』 早坂暁(上)掲載2009年3月15日
・正岡子規『仰臥漫録』 早坂暁(中)掲載2009年3月22日
▼そんな訳で、このサイトのこのページがいつ消えるか分からないし、
リンクが切れてしまう恐れがある。
叱られるかもしれないが、以下、全文を引用する。
◇中江兆民『一年有半・続一年有半』 早坂暁(上)
■死を恐れぬ明治の男、昭和の男も死と対決
人にとって大切な本は、人生最終の帰結である“死”を納得させて
くれる本だと私は思っている。
50歳のとき、突如として病気の集中豪雨に襲われた。
心筋梗塞、胃潰瘍、膵臓炎、胆石、大腸ポリープ群などなど。
突然の襲来かと思ったが、ナニ、たばこは1日100本、3食は
すべて肉食、酒をくらい、睡眠3時間の仕事生活の当然の帰結であった。
さて、胃は全摘してもらい、心臓は半分が壊死しているから、開胸して
バイパス手術をすることとなったが、直前に胆嚢に癌が発生していることが
わかった。
絶体絶命の四文字が脳裏を飛びかう。
しかも胆嚢の癌は力強く進行していて、手術しても余命1年半と
告知されてしまったのだ。
突然に死と向かい合って、泥縄の死の研究にとりかかった。
心のある友人がたちまちエリザベス・ロスさんの『死ぬ瞬間』、
キルケゴールさんの『死に至る病』を差し入れてくれるが、
キリスト教をベースにした死の研究本だ。しっくりこない。
「おい、これはどうだ」と、さらに心ある友人が中江兆民さんの
『一年有半』をもってきた。東洋のルソーといわれた兆民さんが55歳のとき
喉頭癌になって手術をしたが、「余命はいいとこ1年半」と医者にいわれて、
さらばと『一年有半』『続一年有半』という本を書いて、死と対決したのだ。
明治34年刊行で20万部を超える大ベストセラーとなったのだからすごい。
「これ、これ」とばかり読んでみると、すごい。
なんと「一年半というが短くはない。わたしにとっては悠久だと言おう。
私は虚無海上の一虚舟だ」と喝破して、死なんか恐れていない。
坂の上の雲を目指す明治の男は、平気で死んでいくんだぞとカッコいい。
タハッ! 同じ余命1年半の昭和の男にはカッコよすぎて、どこか腑に
落ちないが、時間はない。
これでもって、死と対決するしかないと覚悟を決めたのだ。(作家)
[asahi.com たいせつな本・掲載2009年3月15日]
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