●2012年10月21日 (日) 晴れ
▼昭和30年代のはじめ、まだ「貸し本屋」は繁盛していた。
小学校4年の夏、宮崎に引っ越して、私がこの町の地理を
少しく知ったのは、「貸し本屋」探しをしてからのこと。
宮崎の街の中心には、南北に国道の「橘通り」が走り、
その西に、繁華街の「西橘通り」があり、そのさらに西に
「黒迫通り」があった。
橘通りから2筋西にある「黒迫通り」には、南は映画館の「大成座」と、
北に「東映劇場」があったが、二つの映画館を結ぶ通りは、
橘通りや西橘通りとくらべると、やや寂れた感じの商店が並び、
人通りもそう多くはなかった。
貸し本屋は、その通りの一角にあった。
▼毎日のように通い、パラフィン紙で表紙と裏を包まれた「貸本マンガ」を
借りた。長谷川町子『ササエさん』はもちろん、水木しげる、横山光輝、
白土三平などの漫画もあった。
中で、私が好きだったのは、「滝田ゆう」であった。
当時、『カックン親父』のシリーズが刊行されていた。
ちょびヒゲを生やした中年のオヤジが主人公の、ナンセンス漫画である。
子供用マンガであるが、子供にも、大人の、それも中年の男の哀しみの
おかしさが「ナンセンス」として伝わってくるものがあった。
▼年譜で調べると、滝田ゆうの『寺島町奇譚』(てらじまちょうきたん)の
連載が雑誌『ガロ』で始まるのは、1968年(昭和43年)12月のこと
である。
『寺島町奇譚』は、東京市向島区寺島町(現東京都墨田区東向島)の
旧私娼街玉の井での、自身の少年時代をモチーフとした半自伝的作品である。
貸本マンガ時代の「漫画」から、マンガが「小説」にも拮抗できる表現として
注目されはじめるのは、その頃で、1968年月刊『ガロ』6月増刊号の
「つげ義春特集」に、つげ義春の「ねじ式」が発表された。
「おりしも、時代は全共闘紛争のちょうど前夜。劇画ブームも手伝い、
大学生や社会人も漫画を読むようになった時代」(ウィキペディア)で
あった。
滝田ゆう『昭和ながれ唄』から
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