●3月26日(月) 晴れ
▼ここは大阪・谷町筋。
横道に入ると、寺が多い。
白壁の囲いの切れる四辻のところに
黒い猫が、門の前で日なたぼっこをしている。
どうして、私はこんなところを歩いているのだろう。
猫を見て私は、そのことに気づいた。
ゆるやかな坂になった四辻のむこうを歩いているのは
次男とホノカではないか?
声が聞こえない。
そうか、寺の向かいに保育所があり、
そこからホノカが走ってきて、私に抱きついてきたのだ。
でも、どこへ向かって歩いているのだろう。
▼私は一生懸命、思い出そうとする。
保育所に来たのは、どうやって来たのか。
それがわかれば、いま歩いている目的もわかるはずだ。
頭が痛い。どうやって来たのか。
そうだ、車から降りたのを思い出した。
そのとき、チエちゃんとユイカもいたのだ。
でも、その二人がいない。
私は急に不安になる。
なんで歩いているのか、わからないけど
千日前だったか、黒門市場だか、そこのところを
通ったような気がする。
▼そうだ、みんなで食事をしたのだ。
そのときは、チエちゃんもユイカもいた。
なのに、私は、また歩いている。
電車にも乗った。
歩いたのが先か、電車に乗ったのが先か、
思い出した、大きな郵便局が電車から降りたら、あった。
そうだ、次男の家に行ったのだ。
テーブルがあって、そこにはホノカも
ユイカもいて、ジグソーパズルをした。
でも、私はまた知らないところを歩いている。
細い道を歩いている。
▼見たような風景。ここは来たことがある。
妻の甥の結婚式のとき、来た駅だ。
そうだ、ここはUSJへ行くときの駅だ。
私はホッとした。
・・・・
▼これは、おととい私の見た夢であるが、、
夢の中で、私は、なんで歩いているのか、
いま、どこを歩いているのか、そのことばかり気になって
一生懸命、思い出そうとしていた。
目覚めて、これは以前に日記に書いた、
孫娘の保育園の「生活発表会」の日の出来事を
夢の中で反芻していたことに、気づいた。
▼人は一晩で、実はけっこう夢を見ているのだが、
起きたとき、その多くは見たことも忘れてしまう。
夢を見たと自覚できたものだけを
私たちは「夢」と言っているらしい。
では、なぜ夢を見るのか。
それは、記憶の抽斗を整理し、脳のネットワークに
「記憶」として定着させることと関係があるようだ。
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