●9月15日(木) 晴れ
▼平安時代、「鈴虫」「松虫」について書かれた文献は枚挙にいとまがない。
よく知られている『枕草子』の43段「虫は」では、
蟲は、すずむし。ひぐらし。てふ。松蟲。きりぎりす。
われから。ひをむし。螢。
みのむし、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て・・
と「鈴虫」「松虫」の名が挙げられている。
また、『源氏物語』鈴虫の巻には、
鈴虫のふり出でたるほどはなやかにおかし・・
鈴虫は心やすく、いまめいたるこそろうたけれ・・
とある。
しかし、それらの文献に擬声語で鳴き声を記録したものはない。
▼秋の虫の鳴き声をどう聞きなしたか、それが文献に現れるのは
室町時代になってからである。
能の詞章を写した謡曲本には、次のような記録がある。
たれまつむしの音は、りんりんとして、風茫茫たる・・
(謡曲「野宮」・光悦本)
松虫の声りんりんりん、りんとして、夜の声、冥冥たり。
(謡曲「松虫」・光悦本)
上の「りんりん」は「凛々」であるかもしれないが、下の「りんりんりん」は
擬声語「リンリンリン」の可能性がある。
▼江戸時代の正徳年間(1711年〜1716年)になると、考証学者の間で、
「松虫・鈴虫入れ替わり説」についての論議がかまびすしくなる。
なかでも、賀茂真淵の弟子・塙保己一の、そのまた弟子である屋代弘賢が
「入れ替わり説」を唱えた。
彼は、壬生忠岑の延喜七年(907年)の記事から、この頃までは、
松虫はチンチロリン、鈴虫はリンリンリンと今と同じように鳴いていたが、
それ以降、紫式部(978年〜1016年)の時代になると、松虫と鈴虫は入れ替わって、
リンリンリンと鳴くのが松虫で、チンチロリンと鳴くのを鈴虫と言うようになった、
としたのである。
この論証についての詳細は、白石良夫・著『古語の謎』に譲るとして、
結論を言えば、屋代弘賢の「松虫・鈴虫入れ替わり説」は憶測と推量による
極めて荒っぽいものであった。
▼はっきり言えることは、江戸時代・屋代弘賢の生きていた1758年〜1841年頃までに
松虫は「チンチロリン」、鈴虫が「リンリンリン」と鳴くという擬声語が定着していた、
ということだけである。
そして現代も、私たちは、そのように表現するのが常となっている。
しかし、これは「聞きなし」であって、けっして虫がその通りに鳴くわけではない。
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