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2011年04月17日23:35

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■「社会の役に立つ人間」

●4月17日(日)  晴れ

 ▼きょう、昼
  NHKのテレビ番組
  『東日本大震災 津波が家族を奪った〜南三陸 ある避難所の6日間〜
  というのを見た。

  もともと、この番組は東北地方で4月8日(金)に放送したものだという。


 ▼番組解説には、

   「宮城県南三陸町は高さ16メートルに及ぶ巨大津波に襲われ、
    町の人口の半数が所在不明になった。
    町最大の避難所・南三陸ベイサイドアリーナは1000人を
    超える被災者が身を寄せ離れ離れになった家族や友人を探し
    つづけている。

    がれきの山に阻まれ捜索は難航し、不明者の発見は進まない。
    番組では避難所で家族を捜す人たちに寄り添い、東日本大震災が
    もたらした被害の深刻な実態を描く」

  とあるが、『被害の深刻な実態』に立ち向かう人が描かれていた。


 ▼地元で店屋をやっている女性と、実家の母の行方を捜しに来ていた
  女性が、避難所生活の中から「自然発生的」に世話係ボランティアの
  リーダー役を務めていく姿を追っていた。

  おそらく当初、番組の制作意図は、解説にもあるように、
  街全体が津波に飲みこまれ、町の人口の半分が行方不明になり、
  家族・友人を探す人たちを、1000人という大人数の避難所の
  実態を通して『深刻な被害』を描くつもりで、この避難所「南三陸ベイサイドアリーナ」に
  カメラを持ち込んだのであろう。

  はじめから「物語」があったわけではなかった。


 ▼一旦は避難所から自宅にもどろうか、と思ったが
  そのとき、ふと、ここを見捨てて家にはもどれないという思いで、
  そのまま避難所で世話係ボランティアとして居残った女性。

  入院中だった実家の母が行方不明になり、そのとき看病に当たっていた兄から
  母が水をかぶり、もう生きてはいないことを聞かされてはいたが、
  遺体が見つかるまでは、どうしても自分に納得がつかない・・。
  そんな思いで、二人の子供を夫にあずけ、避難所をまわり母の情報を探し、
  遺体の確認にまわる。遺体はみつからず、身を寄せている避難所の衣類や物資の
  整理などのボンティアをする。


 ▼この二人の女性の別れの場面がある。
  遺体が見つかり、家族のもとへ帰る女性をもう一人が送る。
  二人の家はそう遠くはなかったが、こんなことでもなければ
  会うことも話すこともなかったかもしれない。

  再会を約して別れる。別れるとき
  「こんどのことで、私は人生観が変わった。きっと生き方も変わるだろう。
   これからは、社会の役に立つ人間になりたい。そして、なれると思う」
  と語った。

  「社会の役にたつ人間」などいう、最近、大人からはあまり聞かない言葉を聞いた。
  それは信頼にたる、大人の言葉であった。



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