●4月17日(日) 晴れ
▼きょう、昼
NHKのテレビ番組
『
東日本大震災 津波が家族を奪った〜南三陸 ある避難所の6日間〜』
というのを見た。
もともと、この番組は東北地方で4月8日(金)に放送したものだという。
▼番組解説には、
「宮城県南三陸町は高さ16メートルに及ぶ巨大津波に襲われ、
町の人口の半数が所在不明になった。
町最大の避難所・南三陸ベイサイドアリーナは1000人を
超える被災者が身を寄せ離れ離れになった家族や友人を探し
つづけている。
がれきの山に阻まれ捜索は難航し、不明者の発見は進まない。
番組では避難所で家族を捜す人たちに寄り添い、東日本大震災が
もたらした被害の深刻な実態を描く」
とあるが、『被害の深刻な実態』に立ち向かう人が描かれていた。
▼地元で店屋をやっている女性と、実家の母の行方を捜しに来ていた
女性が、避難所生活の中から「自然発生的」に世話係ボランティアの
リーダー役を務めていく姿を追っていた。
おそらく当初、番組の制作意図は、解説にもあるように、
街全体が津波に飲みこまれ、町の人口の半分が行方不明になり、
家族・友人を探す人たちを、1000人という大人数の避難所の
実態を通して『深刻な被害』を描くつもりで、この避難所「南三陸ベイサイドアリーナ」に
カメラを持ち込んだのであろう。
はじめから「物語」があったわけではなかった。
▼一旦は避難所から自宅にもどろうか、と思ったが
そのとき、ふと、ここを見捨てて家にはもどれないという思いで、
そのまま避難所で世話係ボランティアとして居残った女性。
入院中だった実家の母が行方不明になり、そのとき看病に当たっていた兄から
母が水をかぶり、もう生きてはいないことを聞かされてはいたが、
遺体が見つかるまでは、どうしても自分に納得がつかない・・。
そんな思いで、二人の子供を夫にあずけ、避難所をまわり母の情報を探し、
遺体の確認にまわる。遺体はみつからず、身を寄せている避難所の衣類や物資の
整理などのボンティアをする。
▼この二人の女性の別れの場面がある。
遺体が見つかり、家族のもとへ帰る女性をもう一人が送る。
二人の家はそう遠くはなかったが、こんなことでもなければ
会うことも話すこともなかったかもしれない。
再会を約して別れる。別れるとき
「こんどのことで、私は人生観が変わった。きっと生き方も変わるだろう。
これからは、社会の役に立つ人間になりたい。そして、なれると思う」
と語った。
「社会の役にたつ人間」などいう、最近、大人からはあまり聞かない言葉を聞いた。
それは信頼にたる、大人の言葉であった。
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