●4月13日(水) 晴れ
▼一昨日だったか、
NHKの夜9時のニュースであったと思うが、
現在、ウィーンで開催中の原子力安全条約検討会合に
出席している国際原子力機関(IAEA)の天野之弥事務局長に
ニュースキャスターがインタービューする場面があった。
「今回の福島第一の事故のレベルは・・」と問われて、
天野事務局長は、「それは日本政府の決めることです」と答えていた。
私はびっくりした。
私はてっきり「事故のレベル」は、IAEAが決めるモノだとばっかり
思っていた。
それを決定するのは、事故を起こした国の責任において宣言するらしい。
そして、昨日、4月12日、日本政府はこれまでの「レベル5」から
一挙に「レベル7」に引き上げた。
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福島第1原発:最悪レベル7 チェルノブイリに並ぶ
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福島第1原発:最悪評価、世界に衝撃…レベル7
▼「レベル7」の評価については、
「
チェルノブイリに遠く及ばず」とするIAEAのフローリー事務次長の会見や、
「
レベル7は驚きでない」とする米原子力規制委員長の発言などが
報じられている。
また、枝野幸男官房長官は
13日の記者会見で、
東京電力福島第1原子力発電所の事故の評価が
最悪の「レベル7」に相当する可能性があると、
すでに「3月下旬」に認識していたことを明らかにしている。
▼この間、福島第一原発事故に関する「情報の公開」や「広報の在り方」については、
すでに、さまざまの批判があがっている。
そして、自分の頭で考えようとする人達にとっては、
うすうすではあるが、間違いなく、いま進行している事態について
「予断を許さない」ものであることを
感じ取っていた。
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テレビ、新聞では報道しない「原発事故」報告
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上杉隆氏らによる原発設計者 上原春男氏共同インタビュー
だから、私たちも「レベル7」は遅きに失したものではあっても、
決して、驚くにはあたらないものである。
▼驚くのは、次のような報道に接するときである。
◇住民感情逆なで 不用意…「首相発言」に与野党
菅首相が13日、東京電力福島第一原子力発電所の避難区域に関し、
当分「住めない」と不用意な発言をしたと報道され、地元はもとより、
与野党にも波紋と衝撃が広がった。
自民党は「避難区域の住民感情を逆なでするものだ」と反発し、
民主党内からも「余計な発言」と批判があがった。首相は発言を否定したが、
東日本大震災後、軽率な言動が続いているのも事実で、首相としての資質が
改めて疑問視され始めた。
首相発言は13日、松本健一内閣官房参与との会談で出たとされた。
松本氏が会談後に記者団に明らかにしたもので、首相は報道で波紋が
広がると、松本氏に電話し、記者団に訂正させた。
首相は松本氏のエコタウン構想には同調したという。
暫定評価が最悪の「レベル7」となった福島第一原発の放射能漏れは収束の
見通しが立たない。
首相にすれば、「放射能汚染の恐怖にさらされた場所より、エコタウンで
生活してもらいたい」(首相周辺)との思いがあったとみられる。
もっとも、震災の復興策を検討する「東日本大震災復興構想会議」は
14日が初会合で、「これから新たな街づくりを議論するというのに、
首相が結論めいた話をすべきではない」との声も出ている。
与野党にも波紋が広がった。民主党の岡田幹事長は13日、記者団に
「松本氏の発言は不用意だ」と松本氏を批判した。
公明党の井上幹事長は、首相発言だとの前提で、記者団に「とんでもない話だ」
と憤った。
(
2011年4月13日20時41分 読売新聞)
▼果たして、これは「不用意な発言」だったのだろうか。
もし、事実として「当分、住めない」のであれば、そのことを
地域の人々に、厳然とした事柄として伝えねばならないし、
その危険性も考慮の中に入れておかねばならぬのなら、
たとえ先のことは変わらぬとしても、その腹をくくらねばならない。
なのに、そのことが
どうして「不用意な発言」としか思われないのか。
「言わなくてもいいことを言ってしまったのか」
「言い方、表現方法を間違えたのか」
もしそうであれば、それは「不用意な発言」であろう。
しかし、問題は
何を伝え、何を説明し、何を共通の認識とするか
その目的において「失敗」している。
あるいは、そのような目的のために「言葉」があるとは
ちっとも思っていないのである。
「言葉」はパフォーマンスであり、恰好であり、演出なのだ。
だから、彼らは「不用意な発言」と思うのだ。
▼悲惨な事実の前に、私たちは「言葉」を失う。
真摯であればあるほど、その思いは深く、黙ってしまう。
もはや立ち上がれそうもないという思いが、沈黙を支配する。
やがて私たちは「希望」を失い、「自分」をも失う。
しかし、そんなとき、悲惨に立ち向かうことができるのは、
やっぱり「言葉」なのだ。
16年前の震災から1年が経ったとき、まだまだ遠い道のりを思って
私たちの『震災記』というのが作られた。
その巻頭に掲げたのは、次の言葉であった。
財がなくなっても、何も失われてはいない。
やる気がなくなると、多くが失われる。
誇りがなくなると、すべてが失われる。
――ルードリッヒ・エアハルト (元 西独首相)――
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