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2011年03月27日02:03

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■20万分の28

●3月27日(日)  未明

 ▼金曜日、朝礼で
  「28戸が用意できた」という報告があった。

  東北地方・太平洋沖大地震と津波による被災者を、
  神戸市が受け入れるための住宅である。

  当初、神戸市は200戸の受け入れを決めていたが、
  急遽、500戸に拡大した。
  
  そのため、私が勤務する職場も、
  神戸市の「指定管理者」として市に代わって管理している住宅で、
  すぐにでも住めるようにできる部屋を調査した。

  そして、数百戸のうち、空室である約60戸の物件で、
  4月1日までに、入居できるように準備し、確保した
  その「部屋」の数が28戸だった。


 ▼いま、全国の自治体で、
  約20万人といわれている「被災者」の受け入れ態勢を
  急いでいる。

  できれば、町・村・集落の単位で、
  被災した人たちのコミュニティを壊さないように、
  そっくり、そのまま「疎開」させるのが
  いい。

  しかし、急に準備できるのは
  そんな大きな規模では不可能だ。

  たった28戸だって、
  茶碗・箸・ポットといった台所用品から
  毛布・布団・カーテンまで、
  着の身着のままで入居する人達が困らぬように
  その用意は大変だ。

 ▼入居する前には、「洗い」といって
  部屋の掃除をする。

  数カ月、空き室だった部屋を掃除する。
  ホコリがいっぱいたまっている。

  テレビで、その模様を映していた。
  「気持よく、入ってもらおうと思います・・」
  そう言って、洗い屋さんのその人は照明器具のホコリを
  はらっていた。


 ▼テレビを見ると、思うことが、いっぱいである。
  そして、一方では
  もう、黙っていたい
  という気がしてくる。

  関係ない人には、
  なんで夜遅くまで
  いまだに
  テレビなんか見ているのだろうと、
  思うだろう。


  或る意味、
  それは当然のことだ。

  「関係がない」と思っている人には、
  事実、それは関係のないことだから。


 ▼16年前の阪神・淡路大震災の日、
  私はもうすぐ二歳の誕生日を迎える、おびえるショウを連れて、
  椿谷公園に行った。

  1月17日は、風の強い日だった。
  下の長田の方からは、火の手は見えなかったが、
  火事で黒煙が立ち昇っていた。

  私はショウをあやすために、
  家からもってきた、正月にショウと凧揚げした
  手製の凧を空に揚げた。

  凧は、風に乗って、ぐいぐい
  黒煙と青さのある空に揚って行った。


  団地のベランダでは
  いつものように
  のんびりと、洗濯物を干す
  主婦の姿が見えた。


 ▼誰を非難するものでもない。
  しかし、たとえ
  それは「日常」だったとしても、
  当時、マスコミが用いた「温度差」という言葉を
  嫌った。

  しかし、今回は、少しちがう。

  あれから16年たち、
  ボランティア元年といわれた年から
  ずいぶんと、人々の連帯は進んだ。

  そして、天災と人災の区別も
  つくようになった。


 ▼「関係ない人」には、関係ないかもしれない。
  しかし、それは錯覚であることも、はっきりしている。

  そのことは、放射能による「環境汚染」だけでなく、
  私たちの「くらし」に、ボディ・ブローのように
  及んでくるからだ。



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