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2011年03月18日01:46

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■ケータイ

●3月17日(木) 晴れ 小雪 雨 曇り

 ▼電話がかかってきた。

  「ことしの花見は、どうする? やるの?」
  仲間のひとり、電話の話の長い男からだった。

  「例年通り、4月最初の日曜日、ことしは、えーと3日が日曜日かな?」
  私は壁のカレンダーを見ながら、そう言った。


  2000年、春、「希望退職」したその年から、私たちは
  毎年、雨の日も「花見大会」をやってきた。
  多くは、4月の第一日曜日であるが、暖かい年・寒い年や
  その年の暦の巡りで、開催日の「日曜日」は3月末であったり
  4月初旬であったりした。



 ▼きのう、きょうと、寒い日が続いている。
  3月中旬なのに、晴れたと思えば小雪が降ってくる。
  あの「神戸」のとき、1月で、やはり寒かった。


  私は、裂けた道路を用心しながら運転する車の助手席に乗り、
  商品の腐敗などをチェックするため、
  各店の「食品衛生」のパトロールをしていた。

  寒いのはつらかったが、「夏でなくてよかった」とも
  思っていた。


 ▼電話をかけてきた彼は、
  「震災のときのこと」を思い出し、そして
  いまの「東日本大震災」の事態を見ながら、
  誰かに何かを言いたくて、
  私に電話をかけてきたようだ。

     ・・・・

  あのとき、神戸と、たったちょっと隔たった大阪でも
  「温度差」があった。

  しかし、いま私たちの立ち会っている「事態」について、
  「温度差」はない。
  目に見えない「思い」や、形に見える「思いやり」に違いが
  あるだけだ。

  「賢明な人」は、事態の推移がはっきりしないうちは、
  明言を避け、立場をわきまえ、黙っている。

  ほんとうに思っていることを
  黙っているのに、耐えきれなくなって
  彼は電話をかけてきた・・。



 ▼ところで、あの震災のとき、まだほとんど「携帯電話」というものは
  はなかった。

  本部と連絡が全くとれないから、
  それぞれの部署、個人は自分の判断で動いた。

  「自分が何をすべきか」
  ただ、その思いで動いた。

  上の指示を仰ぐ術はなかったからだ。

  そんなとき、「情報伝達」に
  わずかな携帯電話は威力を発揮した。
  それによって、全体の状況がいまどうなっているのか、
  私たちは、はじめて知った。


 ▼震災後も、私は「ケータイ」を持たなかった。
  「ゲーム」も「ケータイ」も嫌いだから。

  しかし、練炭や七麟が都市ガスに変わっていくように、
  自分だけが「ケータイ」を持たない訳には
  いかなくなった。

  ほとんど使わない着信専用の「ケータイ」ではあるが、
  親戚の危篤のときや、大きな知らない駅での待ち合わせのとき、
  「ケータイ」は役立った。


 ▼「そこは、海抜は何メートルあるの?」

  「さあ、よく知らないけれど・・」

  「むかし、神戸でも津波があったらしいね。居留地のあたり・・・」


  私は、もう電話を切りたかった。
  花見のときに、ゆっくり話そう。
  話しても、話しても、
  思いを伝えることは、むずかしいかも
  しれないが・・・。



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