■「チーズとうじ虫」
●「
shohoji」さんの
日記を読んでいたら、「
チーズとうじ虫」の
ことが書いてあった。「
チーズとうじ虫」、パラパラ読みで、
最後まで読まなかったが、この「本」は私にとっても、懐かしく
また、有益な「本」だった。
●イタリアの中世、１５９０年から１６００年頃のことである。
「メノッキオ」と呼ばれる、ある一介の、自称５２歳という
粉挽（こなひき）屋の老人が二回の「
異端審問」にかけられ、
その後、最初の審問から数えて約１５年目くらいに、焚刑（ふんけい）、
つまり、火あぶりの刑（死刑）に処せられるという事件が起きた。
「チーズとうじ虫」とは、この事件のことを書いた「本」だ。
●メノッキオに死刑を要求したのは、
ローマ教皇庁の
高位聖職者会議
であった。高位聖職者会議の名において、サンタ・セヴェリナ
枢機卿は、地元コンコルディア
教区の死刑への逡巡（しゅんじゅん）に
対して、次のような書簡を送った。
（1599年10月30日の書簡）
「貴台（きだい＝あなた）にたいして、私たちの主なるお方の
命令として、事態の重大さが要求する迅速さをもって、裁判を
行うようにと言っておいたはずである。それはこの者の
恐るべき、かつ憎むべき過誤が罰されぬままでいてはならぬ、
というのみでなく、この者に必要とされている厳格な罰によって、
この地方の他の者たちに《みせしめ》として役立たせるためでも
ある。それゆえ、私たちの懇請と厳格なる精神とにおいて、
それを実行するのに手間取ってはならない」 （同書、p.255）
●そして、ときの
カトリック教会の最高の首長、教皇・
クレメンス８世
自身が、このメノッキオの事件にのり出し、直接、彼の死を
求めた。
農民とも、粉挽屋ともいわれる「メノッキオ」という、あまり
学もない老人と、一人の人間を「神の名において」焚（や）き殺す
ことを必死で願った、
教会の権威の象徴、「
ローマ教会」。
そして、その教会の、「野蛮と無教養」をさらしだすような
キリスト教世界の「トップ」と「超エリート」たち。
「思想」、「うその考え」ほど、世に恐ろしいものはない。
●では、この「本」の題名「チーズとうじ虫」とは、どういう意味か。
それは、こういうことだ。
古い時代には、ヨーロッパの農家でチーズを作る際には、いつでも
知らないうちに、ハエやその他の虫に卵を産み付けられ、その卵が
孵（かえ）って、チーズから、うじ虫がわいてくるのは、ごく
自然のことである。
それで、メノッキオは、このことから、これを「生命の自然発生の
イメージ」にとどめることなく、
ローマ教会の
教義にも当てはめて
みたのだ。
つまり、教会のいう、
神による「無からの創造」ということに。
ここに衝突が起きた。
●彼は、神を否定はしなかったが、こう考えた。ごく自然に。
「私は、世界のすべて、すなわち空気、大地、この世のすべての
すばらしきものは神であると思う。・・・なぜなら、人間は
神の形象にあわせ、その似姿にあわせて作られたと言われており、
また人間の中には、空気、火、土、そして水が存在しており、
従って、空気、土、火、それに水は、神であるということに
なるからです」 （同、p.250）
メノッキオは、「チーズとうじ虫」から、世界と神の同一性を
演繹（えんえき）した。また、この世の非永遠性から、魂の
最終的な死滅という演繹も行い、それは、メノッキオが
<世界と人間の同一性>ということに考えが至ったからだ。
でも、メノッキオは、「神と世界の関係」については語らなかった。
●しかし、メノッキオの自分の頭で考えた「この考え」は
教会からは「
無神論者」とされた。
そして、サンタ・セヴェリナ枢機卿は、断固として、次のように
地元へ書き送った。
（1599年11月13日の書簡）
「私はすでに、ローマ教会の最高位のお方の命じられたこととして
書簡を送った。ありがたき処女
マリアの処女性を否定し、
私たちの
主キリストの神聖を否定し、神の摂理を否定したことで
告発されているコンコルディアの教区のこの農民の事件に
関する裁判を、貴台は滞（とどこお）ってはならない。
なぜなら、このような事件について知ることが、教皇庁に
属していることには、何人（なんぴと）も疑問の余地が
ないからである。それゆえ、裁判の結果に従って、適（ふさ）
わしいとされていること、すべてを断固として実行せよ」
（同、p.256）
●かくして、痩せて、白髪で、顎鬚（あごひげ）も白くなりかかって
いる六十七歳の老人「メノッキオ」は、火あぶりの刑によって
焚（や）き殺された。
キリスト教の最高権威の「超エリート」たちが、よってたかって
ひとりの粉挽きの老人を火あぶりの刑に処した。
これは、彼らが、「メノッキオ」という男が「自分の頭」で考えた
その「思想」に、また、彼らの「教会の思想」が、完全に敗北した
ことを意味している。
●「本を買うな」「自分の頭で考えろ」
主人もちの思想や、御幣（ごへい）担（かつ）ぎの思想は、
それがどんなに高級で、品位があり、優美であっても、ついに
「生きる思想」とはならない。
・・・・
それにしても、どうして私はこんな「本」を読もうとしたのか。
私は、やはり、鬱々としていたのだ。こんな「本」でも読まない
限り、（もちろん、読んだとしても同じことなのだが・・）
少しでも、気の晴れることがないからだったからだろう。
「本」の帯には、
「失われた過去の断片から構築された、鮮やかな
一筋の線。焚刑にされた粉挽屋の驚くべき宇宙。
歴史の深層と表層との接点。その古層を掘り当
てた<知の旅>の成果」
と、ある。
●私にとってこの「本」は、「<知の旅>の成果」などいうものでは
決してない。
頭をぶつけたり、迷ったり、鬱々として読む私の「本」は
そんな高尚なものではなく、風邪をひいたら飲む「風邪薬」の
ような実用的なもので、問題は、書かれていることの<知>ではなく、
風邪が治るか、治らないかである。
およそ二十年ぶりに開いたこの「本」には、「本」を買ったときに
もらった、「昭和６２年１２月２２日」付けの、「六甲・南天
ユーカリ荘書店」の、スタンプインクの紺色のあせたレシートが、
読みかけのページにひっそりと挟み込まれていた。
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