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2006年06月26日19:40

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●身辺雑記(85)/■「本の別れ」

■「本の別れ」

 ●起きたら、誰もいなかった。


  そうだ、私はいったん起きて、また寝たのだった。
  けさ、起き上がって居間にいって、妻と話して

    「あれ、もう起きたン。もうちょっと
     寝なアカン!」

  といわれて、もう一度、寝たのだった。



  もう、お昼はとっくに過ぎている。
  だぁ〜れも居ない「居間」は、ひっそりとして
  することもなく、手持ち無沙汰のように見えた。


  きょうは、役所へ行こうと決めていた日だ。
  空は、どんより曇っている。


  テーブルの上に、ゆうべ妻が買ってきた「海苔巻き」が
  皿に盛られてラップに包まれ、置いてある。
  ブロッコリーの茹(ゆ)でたのも、その脇に置いてある。



 ●いま、雑誌や本や、昔の書類や印刷物、新聞切抜きや手帳、
  メモの切れ端。そんなものを片付けている。

  片付けて、順々に整理のついたものから、用不用のものを仕分けして
  いらないものを捨てていく。そういう方針で作業は進められて
  いるのだが、捨てるものより、あちこちから取り出してきて、
  「あぁ、これもあった」と関連するものを広げるので、部屋の中は
  散乱状態となる。



  片付けながら、思い出した。

    「あんた、最近、また<本>が増えて
     きていない?」

  妻に、そう、二三日前に訊(き)かれたのだ。
  <本が増える>、これは私の何かのバロメーターだ。


  部屋中を散乱させて、「本」を整理し、捨てようとしているのに、
  一方で、「あぁ、あの<本>をまだ買っていない。この<本>も
  読んでおきたいナー」などと思う。実際に、読む読まぬは別として、
  私の知識に欠けているもの、あやふやなもの、そんな事柄の
  <本>のことが思い出される。


  妻が「本が増えている」と言ったのは、私の部屋の散乱した「本」、
  取り出してきてもとの場所に戻されない「本」を見て、そう言った
  だけでなく、実際に新たに発注して届けられた「本」や、買い足した
  「本」も含まれているのは事実だ。



 ●中野重治には「歌のわかれ」という作品があった。昔読んだ
  「ある労働者自立論の出生」という副題のある「北沢恒彦」さんの
  本は「家の別れ」。

  いま、私がミクシイでやろうとし、部屋中に「本」をひっぱり出して
  ウン、ウン、唸(うな)っているのは「本の別れ」である。


  キザっぽく、「人の名前」や「本の名前」を日記に書き留め、
  なかに、「ウィキペディア」の<注>までつけているのは、
  私のひそかな「本」たちへの、「別れのあいさつ」である。


  「吉野弘」さんは、「さよなら」という「」で、有能な社員と
  皿のカケラと道具たちの「別れのあいさつ」を書いた。

  

      割れた皿を捨てたとき
      ふたつのかけらは
      互いにかるく触れあって
      涼しい声で
      さよならをした



  割れた皿のカケラは、「涼しい声で、さよならをした」が、
  私の「本」たちは、段ボールやプラスチック・ケースに詰められて
  「本の別れ」をするときには、どんな声で「さらなら」をするのだろうか
  と思う。


●「本」の整理法
 ・Web Book「買った本
 ・トピック<古い「本」たち、「本の別れ」と「本の顔」
 ・フォトアルパム「古い本の顔
 ・データベース「古い本の名前



■参考
  ・「詩人インデクス」
  ・ウィキペディア「詩人」




■案内
  ・日記/「Home」案内

  
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