■「本の別れ」
●起きたら、誰もいなかった。
そうだ、私はいったん起きて、また寝たのだった。
けさ、起き上がって居間にいって、妻と話して
「あれ、もう起きたン。もうちょっと
寝なアカン!」
といわれて、もう一度、寝たのだった。
もう、お昼はとっくに過ぎている。
だぁ〜れも居ない「居間」は、ひっそりとして
することもなく、手持ち無沙汰のように見えた。
きょうは、役所へ行こうと決めていた日だ。
空は、どんより曇っている。
テーブルの上に、ゆうべ妻が買ってきた「海苔巻き」が
皿に盛られてラップに包まれ、置いてある。
ブロッコリーの茹(ゆ)でたのも、その脇に置いてある。
●いま、雑誌や本や、昔の書類や印刷物、新聞切抜きや手帳、
メモの切れ端。そんなものを片付けている。
片付けて、順々に整理のついたものから、用不用のものを仕分けして
いらないものを捨てていく。そういう方針で作業は進められて
いるのだが、捨てるものより、あちこちから取り出してきて、
「あぁ、これもあった」と関連するものを広げるので、部屋の中は
散乱状態となる。
片付けながら、思い出した。
「あんた、最近、また<本>が増えて
きていない?」
妻に、そう、二三日前に訊(き)かれたのだ。
<本が増える>、これは私の何かのバロメーターだ。
部屋中を散乱させて、「本」を整理し、捨てようとしているのに、
一方で、「あぁ、あの<本>をまだ買っていない。この<本>も
読んでおきたいナー」などと思う。実際に、読む読まぬは別として、
私の知識に欠けているもの、あやふやなもの、そんな事柄の
<本>のことが思い出される。
妻が「本が増えている」と言ったのは、私の部屋の散乱した「本」、
取り出してきてもとの場所に戻されない「本」を見て、そう言った
だけでなく、実際に新たに発注して届けられた「本」や、買い足した
「本」も含まれているのは事実だ。
●中野重治には「歌のわかれ」という作品があった。昔読んだ
「ある労働者自立論の出生」という副題のある「
北沢恒彦」さんの
本は「家の別れ」。
いま、私がミクシイでやろうとし、部屋中に「本」をひっぱり出して
ウン、ウン、唸(うな)っているのは「本の別れ」である。
キザっぽく、「人の名前」や「本の名前」を日記に書き留め、
なかに、「ウィキペディア」の<注>までつけているのは、
私のひそかな「本」たちへの、「別れのあいさつ」である。
「
吉野弘」さんは、「
さよなら」という「
詩」で、有能な社員と
皿のカケラと道具たちの「別れのあいさつ」を書いた。
割れた皿を捨てたとき
ふたつのかけらは
互いにかるく触れあって
涼しい声で
さよならをした
割れた皿のカケラは、「涼しい声で、さよならをした」が、
私の「本」たちは、段ボールやプラスチック・ケースに詰められて
「本の別れ」をするときには、どんな声で「さらなら」をするのだろうか
と思う。
●「本」の整理法
・Web Book「
買った本」
・トピック<
古い「本」たち、「本の別れ」と「本の顔」>
・フォトアルパム「
古い本の顔」
・データベース「
古い本の名前」
■参考
・
「詩人インデクス」
・
ウィキペディア「詩人」
■案内
・
日記/「Home」案内
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