mixiユーザー(id:1040600)

2006年06月25日11:50

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●mixiについて (3) ■ある手紙

 ●三度、mixiについて

  ほんの、いま、ある手紙をもらった。
  マイミクの方から来たメールだ。

  メールの内容は、次のとおり。


     ----------------


    naratoさん
    おはようございます。

    メッセージにて失礼します。

    さて件名についてですが、未だはっきりと
    決めた訳ではないですが、mixiを再度
    退会するかもしれません。

    naratoさんにはマイミク申請して頂いたので
    一応伝えて置かなければならないと思い
    メッセージ送りました。

    理由については今日の日記(注:参照)に書いてあります。

    mixiについて色々日記でも触れたことはあるんですが
    何かやりにくいんですよね。

    というのは今ひとつ書きたい内容が
    書けないんですよ。
    文字通り書けないんじゃなくて、何というか
    悪くいえばやっかみですかね。

    いちいち高尚な内容がどうたら〜と
    言われるんですよね。
    別に高尚とかじゃなくて『本』に基づいた
    内容が多いだけなんですけどね。
    後はWEBで拾ったHPとかですけどね。

    僕としては別にそういうつもりはなくて
    普通に一般の人誰に観られても問題ない
    感じで書いてます。
    完全ではないんですけどね。

    WEBに文章書くって原則
    そういうことですからね。
    でも一般や大勢の人は携帯メールで
    連絡を取り合うように使っているみたいです。

    勿論mixi使用法はそれぞれ任意なんでルールに
    則ってやれば問題ないはずなんですよね。

    でもなんか大勢の意見が
    正しいみたいです。

    長くて私事ばかりで申し訳ないんですが、
    もう少し書きます。

    例えばmixi内に後3人は少なくとも何らかの
    関わりのあった友人や知人の方がいます。
    でもマイミクシィには入れてません。

    というのは全然タイプが違いますし
    正直やりにくいんですよね。

    いろいろあるんですよね。
    SNSってソーシャル(社会)ネットワーキング
    ですが、まんま日本の社会=世間=身内
    の図式なんでしょうか?

    僕はブロガーさんにメール送ったことなども
    あるんで、どうしても内輪だけでネットに
    参加するのは違和感覚えます。

    なんでやりにくいのとちょっと
    疲れてます。

    内田先生の本についてコミュニケーションに
    ついて書こうと思ってるんですが、それも
    伝わるかな?と不安に思ってる所です。

    わざわざ面倒な私情メッセージ
    送ってしまってすみませんでした。

    一応そういうことだけnaratoさんに
    聴いて頂きたくてメッセージしました。

    特に返事は
    必要ないです。
    もし不快でしたらお手数ですが
    削除されてください。

    では失礼しました。

   

     ----------------



  (注)「今日の日記」とは、その方の日記に書かれた
     「mixiって」と題する次の文章のことである。



    「mixiって」


    九尾の猫鞭さんより
         (注:メールをくれた人とは、また別の人)


    http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20060624

     (以下、引用転載)

   
   >引用はじめ

   「会話はキャッチボール」の本当の意味
   「会話はキャッチボールなんだよ」ってのは良く聞く
    お説教だが、私は今までその意味合いを勘違いしてきたようだ。
    最近、ようやくそれが判明した。

    私はこれまで、この言葉の意味を「一方的に話すな」と言う
    意味として捉えてきた。会話はスピーチじゃないんだから、
    こちらが喋った後は、相手も喋る。会話が行き交う。つまり
    キャッチボールなのであると。

    だから私は、そんなことは当たり前じゃないか、と思ってきた。
    私はコミュニケーション不得手ではあるけれど、別に、
    自分が喋ったら即、耳をふさいで「あーあーあーあー、
    きこえなーい、きこえなーい、ぜんぜんきこえなーい」とか
    首を振り振り、叫んでいるわけじゃないのだ。キャッチボールは
    ちゃんとやっている。訳の分からんお説教するな。そう思って
    きた。

    しかし、この捉え方が、根本的なところで大きく間違っている
    ことが判明した。

    ポイントは「キャッチボール」という暗喩である。

    良く考えてみれば、「行き交うもの」を例えるために
    「キャッチボール」である必要はないのだ。なぜ会話を例える
    ために「キャッチボール」というものが使われているのか。



    キャッチボールとは何か。

    キャッチボールは体を動かすのだから、一見スポーツっぽい。
    しかし、キャッチボールはあくまで、何かのスポーツをする
    ための練習や準備体操であって、それ自身はスポーツではない。
    例えば「全日本実業団対抗キャッチボール大会」なんて聞いた
    こともないし、「大学時代は毎日キャッチボールに汗を流して
    いました。」と言っても「スポーツマンだなぁ。」とは思われ
    ない。



    なぜ、キャッチボールはスポーツに含まれないのだろうか。
    それは、この運動に、目標と言うものがないからだ。

    スポーツには目標がある。例えばサッカーならボールを相手の
    ゴールに入れることだし、マラソンなら42.195キロをできるだけ
    早く走ることだ。

    しかし、キャッチボールには目標らしい目標がない。しいて
    言うなら、ダラダラと続けることだけが目標である。



    そして会話はキャッチボールなのである。つまりそこに目標など
    ない。ダラダラと続けることが大事なわけであって、間違っても
    取りにくい球を投げてはいけないのだ。相手が返せるような球を
    投げあって、ただひたすら時間を潰す。これこそが会話と
    言う奴なのだ。

    私は会話においてキャッチボールなんてほとんどしていなかった
    ように思う。どちらかと言えばドッヂボールに近かったように
    思う。相手に如何に剛速球を投げるかを考えてきた。

    だから、ヘロヘロな球、すなわち、くだらない会話をする奴を
    アホだと思ってきた。どうしてこんなものを投げることが
    できるのだろうか。どんだけ、頭が足らんのだと。

    それは私がミクシィに抱いた感想と同じだった。友人たちの書く、
    何の面白みもない、つまらない、非建設的記事。何でこんなに
    つまらないものがブームになるのか、私は不思議だった。



    しかし実は、会話の目標はリレーの継続であったのだ。
    ミクシィにおいて、足跡の付け合い、レスポンスの付け合いが
    目標であるように。中身なんて別にスッカラカンでも良いのだ。
    如何にレスポンスをしやすい会話をするか、それに気を使うもの
    こそ、コミュニケーション上手なのだ。

    会話は「量」より「質」だと思ってきた。でもそれは違う。

    会話において重要なのは「質」よりも「量」なのである。

   >引用、終わり


   そういうことね。
   やっぱ更新完全に止めるか、退会することに
   します。

   内田さん本エントリーに関しては
   適時判断します。


    (注):「内田さん」とは

       『態度が悪くてすみません』
        −内なる他者との出会い-
        (角川ワンテーマ21)

       の著者である「内田樹」さんのことである。


        =================


   それで、私は次のようなメールを送った。





    メール、ありがとうございます。

    退会されるのは、残念なようにも
    思いますが、いつでも、また
    始められるのですから、
    「もう、やめや!」と思われたら
    退会するのも、ひとつの方法かと
    思います。


    かくいう私自身が、
    こんなことをやっておって何になる、
    これが私の仕事か、と思って
    ある区切りがくる度に、
    退会宣言か、休会宣言かして、
    幕引きしようかと、何回か
    考えたからです。


    現に、もうすぐ7月の終わりで
    ミクシイをはじめて、ちょうど1年に
    なるので、これまでどおり
    2/3を読むことにあて、あと残りの1/3を
    書くことに当てようか、などと考えています。


    いまでは、逆転してしまい、
    1/3が読むこと、2/3が書くことどころか
    3/3近くがミクシイで書くことばかり
    やっています。


    まぁ、私の場合は、特殊で
    仕事をしていない、一日中、無軌道な
    放逸な日々を送っている。


    そして、書くことで、
    「本」や、その他、すべてを捨てていこうと
    ひそかに覚悟しているからです。


    あと5年
    は生きるつもりですが
    5年はすぐ来ます。
    そんな感覚は、やはり年取った者の感覚です。
    現に2000年会をつくり
    こんな会、まぁ、2年ももてば上出来と
    思っていたのに、すでに6年が経過し
    いまだ、生きている仲間で、年に3回
    集まり、親しい者は月一回くらい、会ったりしています。


    そういうことで、
    私の例が参考になるか、ならぬか
    わかりませんが、
    私がミクシイやってて
    気づいたことを二、三書いてみます。


    その第一は、
    「読者がいる」ということです。
    もし、これがホームページであって、
    ホームページに読者がいたとしても
    私は自分がミクシイに書いたようには
    書かないし、書けない、ということです。


    すでに400本を超える日記を書きました。
    それは「読者」がいたからできたことです。



    そして、書く内容の件ですが、
    これも、読者がいるということと関係しますが、
    誰も見に来ない「ミクシイ」で
    自分のために、自分だけのことを書いたとしても
    「ホームページ」よりは、「読者」を頭に思い描いている
    と思います。


    ですから、「読者」に、現実に自分の身近な者で
    あまりにも、自分をよく知っている人間には
    「読者」に(つまり「ミクシイ」に参加)なってもらいたくない
    場合もあります。



    私は、モンテーニュの「エセー」に倣って
    これは自分ために、自分のことを書いているのであって、
    読者がいても、読者のためには
    書いていません。だから、正直に自分をさらすことが
    できます。


    せいぜいが、家族・身内のために書いています。
    (そして、家族や身内は、またアホなこと書いて・・、
     と思って読みもしませんが・・・)


    ですから、何を書くのか、それはその人の目的によりますが、
    「本」のことを書こうが何を書こうが、書く「対象」
    それは「私自身」です。


    それと、他人の日記との比較ですが、
    いろんな日記があります。
    すごーい日記があります。

    しかし、すごいか、すごくないか
    そんなことは何の関係もありません。
    どんなにすごくても
    それは、その人や、その書いている人の
    対象が書かれているだけで、私のことが
    書かれているわけではありません。



    長々としたお返事になりましたが、
    「○○」さん(注:メールの送り主)が、また書き始められる
    ことをお待ちしています。

                         narato






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