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2006年06月13日12:17

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●身辺雑記(72)/■あるホームページを読んで

■あるホームページを読んで

 ●胃は、いまもときどき痛む。
  きのう、前の会社の総務部に電話をして、離職票と健康保険資格
  喪失証明の発行がどうなっているか、尋ねた。

  退職してから、もう一ヶ月になるがまだ届かない。

   「すみません。離職票の発行手続きは社会労務士さんに
    お願いしているので・・・、もう少し待ってください。
    健康保険の資格喪失証明はできています。これだけでも、
    送りましょうか・・・」


  小さな会社だから、「総務部」で手続きできる人がいないのだ。
  「社会労務士」さんに外注しているのか。私は、はじめて
  そんなことに気づく。

  資格喪失証明だけでも早く送ってくれるように頼んで電話を
  きった。

  それが届けば、北須磨支所に行って、国民健康保険への加入手続き
  をして、保険証を発行してもらい、それから病院へ行くことになる。

  支所に電話で問い合わせたら、

  「ほんとうは、加入手続きをしたあと自宅に保険証を郵送
   ということになるのですが、もし、どうしても胃が痛い
   とのことで、すぐに発行してほしいなら、その旨申し出て
   もらえば、その場で発行できると思います」

  とのことだった。

  電話の対応は親切だったが、ここまで聞かねば、役所の対応
  そのものは「役所の都合優先」で不親切。利用者の無保険状態が
  一ヶ月以上続いても、平気である。


 ●妻には、このことを小出しにしながら情報開示し、いまでは
  まぁ、理解してもらっている。それで、私が「スイカが胃にいい」
  と言ったので、ほぼ毎日、スイカを買ってきてくれるので
  私はそれを食べている。

  スイカはほんとうにウマイ。


 ●「ややこしい話」の件は、これも一応、きのう片付いた。
  
  私は、それで「銭金のはなし」の続きを、

   「お金というのは不思議なものである。せっぱ詰まると
    カネのありがたみより、その恨みの方が増したりする。
    幾ばくかでも用立てるカネがあり、暮らしが何とかなって
    いくというのは、ありがたいことである」

  と書こうとしていた。


  そして、片づけをしながら、

   ・三浦展「<家族>と<幸福>の戦後史」講談社現代新書1482
   ・若林幹夫ほか「<郊外>と現代社会」青弓社ライブラリー8
   ・ジャック=ラーキン「アメリカがまだ貧しかったころ」青土社

  を、パラパラ読みして、

   ・色川大吉「昭和史世相篇」小学館ライブラリー
   ・鹿野政直「近代日本思想案内」岩波文庫別冊14

  まで、引っ張りだして、人々のカネや欲望や幸福や家や家族や、
  などなどについての思いや、また、それらの「思い」についての、
  考え、思考、思想などのことも考えたりした。


 ●「経済史」という学問がある。生産・分配・流通・消費・生活などを
  視野に入れ、それらがどのような要因で、どのように変化してきたか、
  変化に共通の要因はあるのか、歴史的・地域的要因はどのように
  変化に影響を与えるのか、を考える学問である。


  それに対し、「経済学説史」という学問がある。上記の「経済史」の
  中で、実際に暮らした人間が、「経済」について何を考え、
  何を問題とし、どんな考えに至ったか、を検証する学問である。

  最近では、「経済」に限定せず、視野をもう少し広げて、
  「社会思想史」というような捉えられ方もしている。


 ●大学生になった最初の年、「驍将寮」という下宿に一年上の
  「横井さん」という先輩がいた。京都の出身で、「驍将寮」には
  別の部屋に、神戸で働いているお姉さんも住んでいて、色白で
  痩せ型、バイオリンを弾き、寮ではほかの人との付き合いが
  あまりなく、読書家だった。

  私は、中学生のころ音楽の時間に使用した、当時「スペリオ
  パイプ」と呼んでいた、たて笛をもってきていて、それで
  「太陽がいっぱい」のテーマを吹いたりした。それを聞いて
  横井さんが、私を部屋に呼んだ。

  それから、私は、何回か自分の方から横井さんの部屋を訪ね
  横井さんと親しく話すようになった。

  履修科目の話か何かで、「経済学説史」の話になった。

  私は、「学説」を調査し記述することは、とても陳腐な学問の
  ように思っていた。

  ところが、「学説」がなぜ生まれるか、その背景や、その「学説」への
  賛否や、またその批判・継承とはどのようなことを表しているのか、
  そのことについて、横井さんは説明してくれた。


 ●あぁ、なんと話は前に遡ってしまうのか。

  とにかく、そんなことまで思い出してしまったのだ。


  そして、横井さんの机にあった分厚い「経済学説史」の「本」を
  インターネットで検索しはじめた。

  名前を見ればわかるだろうが、著者名が思い出せない。
  横井さんの部屋で、その「本」を私は手にとり、何ページかを
  拾い読みして、横井さんの説明の真なることを確信した。

  そのくらい、その「本」は説得的な文章だった。

  そのようなことは覚えているのに、著者名は覚えていない。
  しかも、私は「経済学説史」を履修しなかった。カリキュラムが
  他の科目とダブったのだろうか。


 ●著者は「内田義彦」だったような気もするが、確かでない。

  そして、いろいろ検索していて「ある人のホームページ」が
  ひっかかってきた。


  私より、七歳年上の人で、理系の人である。
  しかし、何かこの人に、私は別の自分を見るような感じを抱き
  そのホームページのあちこちを読んだ。

  必ずしも考え方が同じというわけではないのに、「別の自分」を
  感じ、同時に、この人と自分とのちがいもこのホームページから
  感じる。


  でも、たしかに、こんな時代が、私より七歳上の人にあったのが
  わかる。


  ・マンガで仕上げた自分史
  ・C’est la vie
  ・旅スケッチと読書ノート


 
■案内
  ・日記/「Home」案内



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