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2010年06月22日23:21

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■「カネ」の向こう側へ

●6月22日(火)  曇りのち晴れ

 ▼メモ
  ・いま、激しい雨が降ってきて、窓を閉めようか
   どうしょうか、迷っているところ。
  ・朝は、曇り空で、置き傘はあるけれど
   傘さげて家を出た。
  ・昼からは晴れて暑い。
  ・きょうは防犯カメラを2台増設するための工事。
   時間を間違えて早くやってくる。
   所長の許可を得て、天井裏の配線工事を先にやってもらう。
   早く始めたのに、終わったのは5時半を過ぎていた。
  ・帰り、最近は行っていない「エデン」で、読みかけの「本」を読む。


 ●西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を読み終えて、
  さっきまで、インターネットで採りあげられている「西原理恵子」関連のものを
  いくつか読んだ。

  また、「動画」でのこの「本」の紹介ビデオなんかも見た。


  人は、自分の想像力以上には、見ることも、感じることも、考えることも
  できないのが、まあ普通である。

  そうでなければ、それは「初体験」で、その経験が次の想像力の素になってくれる。


  そういう意味で、いろんな「読み方」があるのだなあ、と感じた。



 ▼私は、実際の西原理恵子さんを知らないし、マンガを断片的に見たことが
  あるのと、ダンナさんとのことを「ドキュメンタリー」風に映し出した番組を
  見ただけで、ほとんど何も知らない。


     
フォト

             西原理恵子・鴨志田穣



  だから、彼女の漫画のほとんどを読んでいる人や、言動をじかに知っている人など、
  もうすでに、充分、実際の西原理恵子さんや、媒体で「西原理恵子」を
  知っている人は、いろんな評価をするだろうと思う。
  

 ▼しかし、よく考えると、それは、「自分が問われていること」も知らないで、
  ペラペラしゃべっている場合もある。
  本人も気づいていないか、または、気にもしていない場合がある。




  もちろん、それはそれで、各個人の自由なことだけど、私には、この「本」を、
  「お金と上手につきあっていくこと」を考えさせられる「本」などと、
  まとめられると、ほんとうに残念な気持ちになる。


    「カネの話って、下品なの?」と、本文でも問うている。
 

  そして、最終章で、
 
    外に出て行くこと。
    「カネ」の向こう側へ行こうとすること。
    ・・・人が人であること。
       人が人であることをやめないこと。
       貧しさの、負のループを越えた向こう側に、
       人は行くことができるんだろうか。

  と自問している。


 ▼宮本常一の「父の十ケ条」の五番目に、

    金というものは儲けるのはそんなにむずかしくない。
    しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

  というのがあった。

  なんで、反対じゃないの、使うのは簡単で、稼ぐのは難しい、
  そうじゃないの、と普通、人は思う。


  しかし、「身銭を切る」という言葉があるとおり、身を切られるように
  カネを使うことは、大変むずかしい。

  そいう意味では、この「本」は、カネの半分を書いている。

  カネは入ってきて、出て行くものである。
  もちろん、入るばかりで出さない人もある。



 ▼「カネ」とは、命も愛も、すべてを測る尺度である。
  
  にもかかわらず、人が人であることをやめず、 
  「カネ」の向こう側へ行こうとすること。

  それは、どんなことを意味しているのだろうか・・。


    ・・・・



 ▼お金大好きの、うちの奥さんは、今週休みなく働いて、
  疲れ果てたか、きょうは、サスペンスを観ず、「数独」をせず、
  布団にもぐり込んで、昏々と寝ている。

  きのう、彼女に

    「この『本』、おもろいよ」

  と私が言ったら、「あらっ、そう」と軽くあしらわれた。

  彼女は、ほとんど「本」を読まない。
  おそらく、この「本」も、ちらっと見て、あと読まないだろう。

  仮にもし、読んだとしても、感想は

   「あんた、なに感心してるの。こんなの、当たり前のこと書いてあるじゃないの」

  と、そのくらいのこと、言うのかもしれない・・。



    


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