●6月22日(火) 曇りのち晴れ
▼メモ
・いま、激しい雨が降ってきて、窓を閉めようか
どうしょうか、迷っているところ。
・朝は、曇り空で、置き傘はあるけれど
傘さげて家を出た。
・昼からは晴れて暑い。
・きょうは防犯カメラを2台増設するための工事。
時間を間違えて早くやってくる。
所長の許可を得て、天井裏の配線工事を先にやってもらう。
早く始めたのに、終わったのは5時半を過ぎていた。
・帰り、最近は行っていない「エデン」で、読みかけの「本」を読む。
●西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を読み終えて、
さっきまで、インターネットで採りあげられている「
西原理恵子」関連のものを
いくつか読んだ。
また、「
動画」でのこの「本」の紹介ビデオなんかも見た。
人は、自分の想像力以上には、見ることも、感じることも、考えることも
できないのが、まあ普通である。
そうでなければ、それは「初体験」で、その経験が次の想像力の素になってくれる。
そういう意味で、いろんな「読み方」があるのだなあ、と感じた。
▼私は、実際の西原理恵子さんを知らないし、マンガを断片的に見たことが
あるのと、ダンナさんとのことを「ドキュメンタリー」風に映し出した番組を
見ただけで、ほとんど何も知らない。
西原理恵子・鴨志田穣
だから、彼女の漫画のほとんどを読んでいる人や、言動をじかに知っている人など、
もうすでに、充分、実際の西原理恵子さんや、媒体で「西原理恵子」を
知っている人は、いろんな評価をするだろうと思う。
▼しかし、よく考えると、それは、「自分が問われていること」も知らないで、
ペラペラしゃべっている場合もある。
本人も気づいていないか、または、気にもしていない場合がある。
もちろん、それはそれで、各個人の自由なことだけど、私には、この「本」を、
「お金と上手につきあっていくこと」を考えさせられる「本」などと、
まとめられると、ほんとうに残念な気持ちになる。
「カネの話って、下品なの?」と、本文でも問うている。
そして、最終章で、
外に出て行くこと。
「カネ」の向こう側へ行こうとすること。
・・・人が人であること。
人が人であることをやめないこと。
貧しさの、負のループを越えた向こう側に、
人は行くことができるんだろうか。
と自問している。
▼宮本常一の「父の十ケ条」の五番目に、
金というものは儲けるのはそんなにむずかしくない。
しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。
というのがあった。
なんで、反対じゃないの、使うのは簡単で、稼ぐのは難しい、
そうじゃないの、と普通、人は思う。
しかし、「身銭を切る」という言葉があるとおり、身を切られるように
カネを使うことは、大変むずかしい。
そいう意味では、この「本」は、カネの半分を書いている。
カネは入ってきて、出て行くものである。
もちろん、入るばかりで出さない人もある。
▼「カネ」とは、命も愛も、すべてを測る尺度である。
にもかかわらず、人が人であることをやめず、
「カネ」の向こう側へ行こうとすること。
それは、どんなことを意味しているのだろうか・・。
・・・・
▼お金大好きの、うちの奥さんは、今週休みなく働いて、
疲れ果てたか、きょうは、サスペンスを観ず、「数独」をせず、
布団にもぐり込んで、昏々と寝ている。
きのう、彼女に
「この『本』、おもろいよ」
と私が言ったら、「あらっ、そう」と軽くあしらわれた。
彼女は、ほとんど「本」を読まない。
おそらく、この「本」も、ちらっと見て、あと読まないだろう。
仮にもし、読んだとしても、感想は
「あんた、なに感心してるの。こんなの、当たり前のこと書いてあるじゃないの」
と、そのくらいのこと、言うのかもしれない・・。
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