●6月10日(木) 晴れ
▼メモ
・外に出れば、暑い。
インクカートリッジを買いに、ソフマップまで行く。
・湿度は少ないので、暑い割には
しのぎやすい。
▼きのうは、食事後、寝て起きたら2時。
きょうは、1時前。
食後の睡眠が定番になってきた。
そのまま朝まで寝るといいのだが、
起きて1〜2時間はごそごそしている。
とくに、書くべきこともないのに
パソコンの前にすわったり・・・。
▼そんな訳で、私の日記はいよいよ私的なメモになって
いくのであるが、
今晩、ショウから電話があった。
「ショウやけど、今月のお小遣い、もらいに行ってもいい?」と
聞いてくる。
「ああ、いいよ」と答える。
あすは年休であるが、消防設備点検の日で、代務の人は来てくれるが
段取りだけは取っておいた方がよさそうなので、
朝のうち職場に出ることにしている。
「昼ごろには、家にもどっている」と言うと
「だったら、12時半に行く」とショウ。
▼妻が帰ってきて、そのことを話すと
「当然もらうものと思っているんだね〜」と言う。
「もうすぐ月も半ばになって、小遣いも切れてきたんじゃないか。
小遣いは家でもらうものじゃなくて、ジイちゃんからもらうものなんだろう」
と答えた。
まあ、そんな家族関係になったのだろうと、思う。
▼昼休み、阿満利麿『無宗教からの「歎異抄」解読』。
無宗教の人が、専修念仏という「信」にどう近づくことが
できるか、そんな視点で書いてある。
「歎異抄」解釈に、新しいことは書いていない。
「信仰」や「信心」のぎりぎりの困難さと、そこに成立する「信」との
せめぎあいみたいなものが、もう少し肉薄して書いてあれば・・、
とも思うのだが、「歎異抄」とはもともと、そのことを書いている
「本」である。
▼人は「安心立命」を願うが、そんなもの
なかなか叶うはずもない・・・。
そんなとき、「もう、あなたは救われいるから、安心してもいい」と
言われて、安心できるか否かに「信」の成立が関わっている。
・・・・
まえ映画で『蒲田行進曲』というのがあった。
あのラスト・シーンである。
結局、これは「映画でした、お芝居でした」と見せて終わる。
なんか、「生死」や「此彼・彼岸」を見たようで
どきりとする。
▼釈迦は「死後の世界」は語らない。
「浄土」とは「娑婆」のことでもある。
そのままで救済されていることを納得するのはなかなか
むずかしい。
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