mixiユーザー(id:1040600)

2010年06月10日20:46

76 view

■映画『蒲田行進曲』のラスト

●6月10日(木)   晴れ

 ▼メモ
  ・外に出れば、暑い。
   インクカートリッジを買いに、ソフマップまで行く。
  ・湿度は少ないので、暑い割には
   しのぎやすい。
 

 ▼きのうは、食事後、寝て起きたら2時。
  きょうは、1時前。

  食後の睡眠が定番になってきた。

  そのまま朝まで寝るといいのだが、
  起きて1〜2時間はごそごそしている。

  とくに、書くべきこともないのに
  パソコンの前にすわったり・・・。


 ▼そんな訳で、私の日記はいよいよ私的なメモになって
  いくのであるが、
  今晩、ショウから電話があった。

  「ショウやけど、今月のお小遣い、もらいに行ってもいい?」と
  聞いてくる。
  「ああ、いいよ」と答える。

  あすは年休であるが、消防設備点検の日で、代務の人は来てくれるが
  段取りだけは取っておいた方がよさそうなので、
  朝のうち職場に出ることにしている。

  「昼ごろには、家にもどっている」と言うと
  「だったら、12時半に行く」とショウ。


 ▼妻が帰ってきて、そのことを話すと

  「当然もらうものと思っているんだね〜」と言う。

  「もうすぐ月も半ばになって、小遣いも切れてきたんじゃないか。
   小遣いは家でもらうものじゃなくて、ジイちゃんからもらうものなんだろう」
  と答えた。

  まあ、そんな家族関係になったのだろうと、思う。



 ▼昼休み、阿満利麿『無宗教からの「歎異抄」解読』。
  無宗教の人が、専修念仏という「信」にどう近づくことが
  できるか、そんな視点で書いてある。

  「歎異抄」解釈に、新しいことは書いていない。

  「信仰」や「信心」のぎりぎりの困難さと、そこに成立する「信」との
  せめぎあいみたいなものが、もう少し肉薄して書いてあれば・・、
  とも思うのだが、「歎異抄」とはもともと、そのことを書いている
  「本」である。

  
 ▼人は「安心立命」を願うが、そんなもの
  なかなか叶うはずもない・・・。

  そんなとき、「もう、あなたは救われいるから、安心してもいい」と
  言われて、安心できるか否かに「信」の成立が関わっている。

    ・・・・

  まえ映画で『蒲田行進曲』というのがあった。

  あのラスト・シーンである。
  
  結局、これは「映画でした、お芝居でした」と見せて終わる。
  なんか、「生死」や「此彼・彼岸」を見たようで
  どきりとする。

  
 ▼釈迦は「死後の世界」は語らない。

  「浄土」とは「娑婆」のことでもある。

  そのままで救済されていることを納得するのはなかなか
  むずかしい。


0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する