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2010年06月08日21:19

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■法然と兼好

●6月8日(火)  曇り

 ▼メモ
  ・週末あたりから、梅雨に入るのか
   下り坂の湿った曇天の日。
  ・朝、大阪から通うKさんが二日続けて
   遅れて出勤した。昨日は大阪地下鉄で、
   今日はJRで人身事故があった。
  ・三宮駅前ジュンク堂からの帰り、9階の喫茶店で
   カレーとアイスコーヒーのセットを注文した。
   出てきたカレーライスのご飯が、ボロボロで固い。
   電気釜の中で残ったご飯がパリパリになったものらしく、
   我慢して食べていたが、どうにも食べられない。
   店員を呼んで「一度、食べてみてほしい」と言った。
   店員はカレーを下げて行ったが、その後の応対はない。
   しばらく「本」を読んで、それからレジに向かった。
   「すみません。昼間、回転が悪くて、それでご飯がボロボロに・・」。
   レジではアイスコーヒーだけの勘定だった。

 
 ▼以下も、私のメモ。
  あっちとび、こっちとび。

   
 ▼昨晩、検索していたら、阿満利麿『無宗教からの「歎異抄」解読』という
  「本」が引っ掛ってきた。

  この人の「本」は、3冊読んでいたので、だいたいどんな「本」なのか
  想像できる。
  しかし、いま『最後の親鸞』を読んでいるので、吉本隆明でなく、
  この人ならば、どうように言うのだろうかと、この「本」が読みたくなる。



 ▼読んだ三冊とは、次のもの。

  『日本人はなぜ無宗教なのか』
  『人はなぜ宗教を必要とするのか』
  『法然の衝撃』

  しかし、内容を書けと言われても、もうほとんど忘れている。
  でも、いずれも良書だった。これは確か。


  つい親鸞ばかりに目がいくが、「法然」に注目しているのが
  私としては面白かった。


    ・・・・・


 ▼朝の事故との関連で。

  神戸駅近くの2軒の本屋に寄ったが、なかったので、
  三宮まで出ることにした。

  神戸駅のホームは新快速・快速・普通みな遅れていた。
  朝の影響のほかに、須磨駅近くで、新快速車両に異常音がして、
  列車を止めて車両点検をしているとのアナウンスだった。

  Kさんは、今朝のJRの事故で、
  「ホームから人が落ちそうなくらい混雑して、騒然として怖かった」
  と言っていたが、私が降りた三宮のホームでは、まともに歩けないくらいの
  混雑だった。

    ・・・・


 ▼「本」はジュンク堂にあり、そして喫茶店では、カレーのことがあった。
  
  喫茶店で、『無宗教からの「歎異抄」解読』をぱらぱらと読む。
 

  吉本隆明が『最後の親鸞』でやっている、「歎異抄」の読み方も
  思い出しながら・・。


  そして、読みながら、『梁塵秘抄』から『徒然草』への流れが、
  当時、生きた平安末期から鎌倉時代にかけての人々の、思いや
  世相へと飛んでいく。

    ・・・・


 ▼家に帰って、「年表」を調べると、こんな具合だった。


  ・保元の乱(1156年)
  ・平治の乱(1159年)
  ・後白河法皇、『梁塵秘抄』(1169年)
  ・法然、専修念仏(浄土宗)を唱える(1175年)
  ・平清盛「福原遷都」(1180年)
  ・平清盛、死す(1181年)
  ・後白河法皇、死す(1192年)、
  ・源頼朝、征夷大将軍(1192年)
  ・法然、死す(1212年)、
  ・鴨長明『方丈記』(1212年)
  ・親鸞、浄土真宗広む(1224年)
  ・親鸞、死す(1262年)
  ・一遍、時宗を唱う(1276年)
  ・唯円、死す(1288年)
  ・一遍、死す(1289年)
  ・唯円『歎異抄』(1300年ころ)
  ・吉田兼好『徒然草』(1330年ころ)



 ▼ところで、話は変わるが、『徒然草』第39段には、法然が出てくる。


   或る人、法然上人に、
   「念仏のとき、眠りに侵されて、行を怠りはべること、
    いかがして止めはべらん」と申しければ、
   「目の醒(さ)めたらん程、念仏し給へ」と答へられたりける、
   いと尊かりけり。

   また、「往生は、一定と思へば一定。不定と思へば不定なり」と
   言はれけり。これも尊し。

   また、「疑ひながらも念仏すれば、往生す」とも言はれけり。
   これもまた、尊し。



 ▼そして、この前の段、第38段には、

   
   伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。
   いかなるをか、善といふべきか。
     ・・・
   いかなるをか、善といふ。
   まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。
     ・・・ 
 
  がある。  

  兼好法師も、「法然の衝撃」を感じていたのだ。
  それで、3回も「尊い」と発しているのである。


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