●6月8日(火) 曇り
▼メモ
・週末あたりから、梅雨に入るのか
下り坂の湿った曇天の日。
・朝、大阪から通うKさんが二日続けて
遅れて出勤した。昨日は大阪地下鉄で、
今日はJRで人身事故があった。
・三宮駅前ジュンク堂からの帰り、9階の喫茶店で
カレーとアイスコーヒーのセットを注文した。
出てきたカレーライスのご飯が、ボロボロで固い。
電気釜の中で残ったご飯がパリパリになったものらしく、
我慢して食べていたが、どうにも食べられない。
店員を呼んで「一度、食べてみてほしい」と言った。
店員はカレーを下げて行ったが、その後の応対はない。
しばらく「本」を読んで、それからレジに向かった。
「すみません。昼間、回転が悪くて、それでご飯がボロボロに・・」。
レジではアイスコーヒーだけの勘定だった。
▼以下も、私のメモ。
あっちとび、こっちとび。
▼昨晩、検索していたら、阿満利麿『無宗教からの「歎異抄」解読』という
「本」が引っ掛ってきた。
この人の「本」は、3冊読んでいたので、だいたいどんな「本」なのか
想像できる。
しかし、いま『最後の親鸞』を読んでいるので、吉本隆明でなく、
この人ならば、どうように言うのだろうかと、この「本」が読みたくなる。
▼読んだ三冊とは、次のもの。
『日本人はなぜ無宗教なのか』
『人はなぜ宗教を必要とするのか』
『法然の衝撃』
しかし、内容を書けと言われても、もうほとんど忘れている。
でも、いずれも良書だった。これは確か。
つい親鸞ばかりに目がいくが、「法然」に注目しているのが
私としては面白かった。
・・・・・
▼朝の事故との関連で。
神戸駅近くの2軒の本屋に寄ったが、なかったので、
三宮まで出ることにした。
神戸駅のホームは新快速・快速・普通みな遅れていた。
朝の影響のほかに、須磨駅近くで、新快速車両に異常音がして、
列車を止めて車両点検をしているとのアナウンスだった。
Kさんは、今朝のJRの事故で、
「ホームから人が落ちそうなくらい混雑して、騒然として怖かった」
と言っていたが、私が降りた三宮のホームでは、まともに歩けないくらいの
混雑だった。
・・・・
▼「本」はジュンク堂にあり、そして喫茶店では、カレーのことがあった。
喫茶店で、『無宗教からの「歎異抄」解読』をぱらぱらと読む。
吉本隆明が『最後の親鸞』でやっている、「歎異抄」の読み方も
思い出しながら・・。
そして、読みながら、『梁塵秘抄』から『徒然草』への流れが、
当時、生きた平安末期から鎌倉時代にかけての人々の、思いや
世相へと飛んでいく。
・・・・
▼家に帰って、「年表」を調べると、こんな具合だった。
・保元の乱(1156年)
・平治の乱(1159年)
・後白河法皇、『梁塵秘抄』(1169年)
・法然、専修念仏(浄土宗)を唱える(1175年)
・平清盛「福原遷都」(1180年)
・平清盛、死す(1181年)
・後白河法皇、死す(1192年)、
・源頼朝、征夷大将軍(1192年)
・法然、死す(1212年)、
・鴨長明『方丈記』(1212年)
・親鸞、浄土真宗広む(1224年)
・親鸞、死す(1262年)
・一遍、時宗を唱う(1276年)
・唯円、死す(1288年)
・一遍、死す(1289年)
・唯円『歎異抄』(1300年ころ)
・吉田兼好『徒然草』(1330年ころ)
▼ところで、話は変わるが、『徒然草』第39段には、法然が出てくる。
或る人、法然上人に、
「念仏のとき、眠りに侵されて、行を怠りはべること、
いかがして止めはべらん」と申しければ、
「目の醒(さ)めたらん程、念仏し給へ」と答へられたりける、
いと尊かりけり。
また、「往生は、一定と思へば一定。不定と思へば不定なり」と
言はれけり。これも尊し。
また、「疑ひながらも念仏すれば、往生す」とも言はれけり。
これもまた、尊し。
▼そして、この前の段、第38段には、
伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。
いかなるをか、善といふべきか。
・・・
いかなるをか、善といふ。
まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。
・・・
がある。
兼好法師も、「法然の衝撃」を感じていたのだ。
それで、3回も「尊い」と発しているのである。
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