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2010年06月03日18:23

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■二度死ぬ

●6月3日(木)  晴れ

 ▼メモ
 ・ようやく4月分の仕事の目途がつく。
  同時に5月分の締めが始まる。
 ・汗ばむ。交差点で空を見上げる。
 ・きょうは寄り道をせず帰る。


 ▼6月に入って3日目。
  
  きょうも平穏に過ぎた。

  世の中には、信じられないような
  いろいろな事件があり、それは
  そう遠くない所でも起きている。

  だから、悲しんでもいいはずなのに、
  不思議に悲しまないようになった。
  これはどうしてなのだろうか。


 ▼ところで、悲しむというのは、
  何を悲しんでいるのだろうか。

  結局のところ、
  自分を憐れみ、自分を嘆く、
  ということなのだろうか。

  それとも、誰かのために
  涙を流すということなのだろうか。


 ▼たとえ、誰かのためにであっても
  憐れみや嘆きからは
  直接に、喜びを生むことはないだろう。

  だとすれば、どう考えたら
  いいのだろう。


 ▼ずっと前の「日記」に、『少し変わる』というのを書いていた。

  「日記」に書いたとおり、今でも、
  あがいたり、もがいたりする。

  でも、「もう終わっているんだ」、
  そう思うと安心もする。


   「なんとなく、
    そんな気分になることがあって
    私は少し変わったような気もする」

  と書いている。


 ▼これは、歳とった人の特権なのだろうか。

  「もう終わっている」という感覚は、
  「あきらめる」というのと、少しちがう。

  どちらかと言うと、「もう終わっている」というのは、
  「もう死んでいる」という感覚に近い。

  「死んでいるのに、生きている」と云えばいいのだろうか。



 ▼前に「夢」の話を書いて、夢の中では、夢でおきることが
  すべて「現実」なんだ、と思ったが、
  それと、この「もう終わっている」感覚がよく似ている。

  「もう終わっている」人間が、まだ「現実」に生きていて、
  あくせくと、もがき、あがいているような感じだ。

  そう思うと、あくせく、もがき、あがくのも
  悪くはない。
  「楽しむ」まではいかなくとも、死んだ人間がまだ生かされているようでもあり、
  なんとなく、得した感じもする。


 ▼もう一回、死ぬまでのあいだは、
  後ろを振り返らずに、
  ずんずんと前に進んでいこう。

  そう思うと、悲しんだり、嘆いたり
  するばかりの「夢」では、つまらないと
  思う。

  でも、こんなこと
  うちの奥さんに話したら、

  「あんた、いまごろ気づいたの?」

  と、笑われそうである。




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