●5月31日(月) 晴れ
▼メモ
・朝、掃除のおばさんに呼び止められる。
この会社の営業のMさんの妹さんの家が焼け、
妹さんは焼死したとのこと。まさかと思う。
香典出すなら、私も一口と頼む。
・早いと思っていた梅雨は、平年より一週間くらい
遅れる、という。近畿の平年の梅雨入りは6月6日だ
そうな。とすれば、6月13日ころ入梅か。
・銀行名義書き換え、施設部済む。理事長は本人確認用の
健康保険証、運転免許のコピーまだ届かず。
▼昨晩は、サッカー日本代表の対イングランド戦を見ていて、
つい「日記」をその日のうちに書かずじまいで、1日あいた。
しばらく毎日、書くようにしていたが、自分でも
なんでこんなことしているの、と思っているところだった。
家のポットの押しボタン「給湯」を押しても、お湯が出なく
なった。
それで、ポットのふたを開け、200ccの計量カップで
お湯を掬って、焼酎のお湯割りやコーヒーを淹れている。
ちょっと、茶釜から柄杓で湯を差しているようにも見える。
「わび茶」を書いたので、このことを「茶の湯」とでも、書こうか
と思ったりしていたのだ。
▼しかし、アホなことよ、と気がついた。
『徒然草』は、まずあの有名な序段、
徒然なるままに、日暮らし、硯に向かひて、
心にうつりゆく由なし事を、そこはかとなく書きつくれば
あやしうこそ物狂ほしけれ
と、無為について語っている。
徒然わぶる人は、いかなる心ならん。
まぎるる方なく、ただ一人あるのみこそ良けれ。
世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、
人に交はれば、言葉、よその聞きに従ひて、
さながら心にあらず。(第75段)
これは、無為を大切にすることで、ミクシイの日記をつけることではない。
▼そして、無為の愉しみは、
無益のことを成して時を移すを、愚かなる人とも僻事(ひがこと)する人とも
言ふべし。
国のため、君のため、止むことを得ずして、成すべきこと多し。
その余りの暇、幾許ならず。
思ふべし、人の身に、止むことを得ずして営む所、
第一に食ふ物、第二に着るもの、第三に居る所なり。
人間の大事、この三つに過ぎず。
飢ゑず、寒からず、風雨に侵されずして、静かに過ぐすを
楽しびとす。(第123段)
とある。
▼もちろん、『徒然草』第108段には、
寸陰、惜しむ人なし。
これ、よく知れるか、愚かなるか。
(ほんの一瞬を惜しむ人はいない。このことは物事をよく知ってか、
それともアホだからなのか)
というのもある。
「カネ」の使い方と同じように、「無為」の使い方もむずかしい。
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