●5月25日(火) 晴れ
▼メモ
・昨日は年休で、代務出勤。
全館点灯試験を頼んでおいたら、
蛍光灯2本球切れ、交換しましたの報告。
・午後、時折突風。
・役員交代で、銀行名義変更の手続き。
・割引券があり、帰り喫茶「momo」。
▼夕刻、「クローズアップ現代」で
「シベリア抑留 終わらない戦後」というのやっていた。
・
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2894
・
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100525/t10014673601000.html
私の父も戦後4年ほど、シベリアに抑留されていた。
父は戦争の話も、抑留生活のことも殆ど語ることはなかったが、
敗戦後5、6年くらい、私が小学校にあがる頃までは、それでも
大人の話の中に「戦争」が話題になることがあった。
だれそれはお父さんが戦争で亡くなっていないとか、近所の松葉杖のおじさんは
戦争で脚を失ったとか、また、祭りの日に参道で見かける白装束の片腕のない
傷痍軍人とか、「戦争」の余韻がまだ生活に影を落としていたような気がする。
▼昭和20年、敗戦1か月前に生まれた私は、おそらく「戦後生まれ」の
「戦争を知らない世代」に属すると思う。
戦争で知っているのは、そんな大人の話を子供心に聞いた記憶と、
ある日突然、シベリアから引き揚げて来た「父」が私の前に現れたことだ。
この「特集」が組まれたのは、「シベリア特措法:超党派で今月国会提出へ」という
ニュースにも関係している。
▼毎日新聞 2010年5月20日 東京朝刊
・
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100520ddm014010100000c.html
党派の国会議員が「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」
(シベリア特措法)を、議員立法の形で今月中に国会へ提出することを
目指している。
国がシベリア抑留者に特別給付金を支給し、抑留問題の全容解明などを
目指すものだ。
成立すれば、元抑留者たちの長年の悲願がかなう。【栗原俊雄】
昨年9月の政権交代で、全国抑留者補償協議会(全抑協)の期待は高まった。
民主党や鳩山由紀夫首相はシベリア抑留者に関する法律制定に意欲を示して
いたからだ。
しかし、半年余りたっても、事は進まなかった。
全抑協は今年4月23日、鳩山首相あてに「要望書」を提出した。
「昨年夏までは『政権交代後に』と言われ、すでに東京の桜も散って、
残りの会期も1カ月半程度です。本当に速やかな法案成立を鳩山総理以下も
願い、指導性を十分に発揮していただいているのでしょうか? 最終的に
形にして、結果を出していただくことができなければ、失望を超えて、
怒りが広がります」
などという文面だった。
こうした声を受けて、民主党の円より子、谷博之両参院議員らが奔走。
政府や野党の了解もとりつけ、法案提出のめどがたったという。内容は
(1)抑留期間に応じて1人当たり25万〜150万円を「特別給付金」として支払う
(2)抑留の実態解明を推進する基本方針を策定する(3)対象者の高齢化に
配慮して公布日に即日施行する−−などだ。
▼母の実家の淡路に復員してきて、職もなくブラブラせざるを得なかったのだろうが、
たまに風呂でロシア語で歌を歌ったりすることがあった。
村の、何も知らない小学校にあがる前の私でも、なにかよくないことのように、
「シベリア帰り」とか、「赤」とか、いう言葉を大人から聞いた。
父は結局、母の実家の世話になっている間は、何も仕事をしなかったと思う。
内職で、映画館で売る「セロハンに入った落花生」の袋詰めをしたくらいだろう。
セロハンを糊づけして、三角形の袋を作り、ピーナツの皮をむいて
ふーふーと口で息を吹いて皮をとばし、「落花生」と書いた短冊状のラベルを
入れ、ピーナツを詰める。
私も手伝わされたので覚えている。
祖母が家に回ってきて、米櫃にコメがなくなってくると補充した、と、
祖母から聞いた。
臨時に雇ってもらって、役場で働く母の収入だけなのに、
父は、家で謡曲や詩吟などをうなっていた。
▼父は、いわゆる「シベリア抑留補償」には関心がなかった、と思う。
その父が、糖尿病を患い失明したあとだったと思うが、
宮崎から連絡があって、「シベリア抑留者」であることの
手続きみたいなことを頼んできた。
もう、ほとんど忘れたが、父から送られてきた書類に私が書いて
厚生省だったかに送ったことがある。
なんとなく、いやな気分だった。
・・・・
▼テレビを観終わって、たしか、ここらあたりにしまったはずだと思って、
私は探した。あった。
その手続きをしたあと、慰労品とて送られてきた、桐の紋が刻された「銀杯」
である。
父が、結局、何が欲しがったのか、
私にはよく分からない。
銀杯を見て、いやな気分がするのは、今も同じだ。
●日記「
総目次」
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