■ややこしいこと
●目が覚めると、妻が
「あんた、風呂はいる?」
と聞く。
そうだ、きのうは、晩飯を食べてそのまま寝て、
夜中にのそのそ起きだしてきて、つけっ放しのパソコンを
消す前に、ちょっと書き込みをして、そうして寝たのだった。
結局、妻もそのまま寝てたから、きのうは風呂を沸かさなかった。
気温は30度近くに上昇し、梅雨前の天気は湿度も高い。
寝いている間に、首筋に汗をかいている。
「そりゃあ、ありがたい!」
妻はきょう休みで、六甲山の
森林植物園に友達と行くらしい。
それで、いま出かける準備をしているところ。
私は先に、朝風呂に入らせてもらった。
●「早寝早起き、よい子の習慣」は、いまだ身につかないが
このモットーを私はいまも、大切だと思っている。
大切ならば、そのモットーにしたがって身を律するか、といえば
そうではない。
だったら、そんなモットーは無意味ではないか、と思われるだろう。
考えていてやらないことは、考えていないことと同じである。
それは、そのとおりで、私のモットーは現実に対しては役立って
いない。
妻に言われるまでもなく「ゆーばっかり」で、努力すらあまり
していない。
にもかかわらず、私は「早寝早起き、よい子の習慣」のモットーを
降ろそうとは思わない。モットーはモットーだから大切なんだ、
と訳のわからない理屈でもって、これを護持している。
●天気がいいので、すぐ近くの「コーナン」に行ってみようか、
と思う。
いま、私のパソコンの周りやこの部屋は「本」が積まれたり、
散乱したりしている。
この日記に「本」のことを書いたり、居間や寝室やトイレの
前の本棚や、あっちこっちの本棚から引っ張り出した「本」や、
片付け始めた「本」が部屋中にちらかっている。
片付け物をはじめて、途中であれこれ見入って、あたり一面
散乱状態になったようなものだ。
これらの「本」を一部は捨て、一部はプラスチックの衣装ケース
みたいなものに詰めてはどうか、と思っている。
その衣装ケースを「コーナン」に買いにいってはどうかと
思っている。
●「コーナン」といえば、ここは元、コープこうべ「北須磨
リビングセンター」で、私の勤務先の職場のひとつだった。
コープこうべのリストラで、この職場は「コーナン」に売られた。
啓明女学院とオートバックスと、地下鉄妙法寺駅へ下るT字路の前に
建つ、この元「北須磨リビングセンター」で、いま「コーナン」の
建物は、元の建物をそのまま利用して「看板」だけが「コーナン」に
変わった。
私は家で、日曜大工も園芸もやらないから「リビングセンター」へ
買い物に行く用事はあまりないのだけれど、そばの喫茶店の
「コットン・クラブ」に行ったときや、奥須磨公園の前の池で
魚釣りをした帰りなどに、たまに、この「リビングセンター」
「コーナン」に立ち寄ることがある。
店内は、若干レイアウトは変わっている。しかし、建物の柱や
階段は動かしていないのだから、取り扱いの商品アイテムを
いくら入れ替え、陳列を変化させても、そうそうは変わらない。
何が変わって、何が変わらないのだろうか。
不思議な感覚に見舞われる。
ふと、「換骨奪胎」という言葉が浮かぶ。
これは外身は変わっても、中身は変わらない、という意味だったか。
いや、その逆だったか。
私たちの体自身がそうだ。
日々、摂取した食物や空気は、体内で新陳代謝をくり返し
もしかすると、1年もたったら総身、体を作っているすべての
物質は入れ替わって、もうもとの体ではないのかも知れない。
1年で、身ぐるみ全体が変わらないとしても、もとの体ではない
ことは、はっきりしている。
時間とか、変化とか、運動とか、
わからないことが、いっぱいあるけれど
みんな「換骨奪胎」しているのかもしれない。
●妻がもうすぐ出かける段になって、電話がかかってきた。
話の内容はよくわからないが、妻の返事や言ってることで
ムスメからの電話であることがわかる。
なんとなく、あまり楽しい話でないこともわかる。
「なんやった?」
「う〜ん、なんか、ややこしいことらしいワ。
帰りに寄ってみるワ」
そうだ、そのほうがいい。
「ややこしいこと」は、いつ起きてくるかもしれない。
そのときは、そのときで立ち会うしかない。
いまから考えても、どーしょうもない。
森林植物園のあじさいは、どうなんだろう。
まだ、ちょっと早いのだろうか。
コガクウツギや、シャクナゲが
いま見ごろのようだ。
六甲山には緑の風がそよぎ、
静かな時間が流れているだろう。
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