●5月17日(日) 晴れ
▼メモ
・日曜日、再放送で「パック・イン・ジャーナル」の聞き逃した部分見る。
見ながら、また寝る。
・妻、すいか買ってくる。明朝、食することにする。
・外出せず。そろそろ散髪に行きたい。
・夜半、先程、ムカデ出る。ごみ箱で押さえ妻を呼ぶ。
▼きのうの日記を書いてから、旧い自分の日記を読み返してみた。
むかし中学生のころ日記をつけていたが、それを読み返したとき
「恥ずかしい」と思った。
案の定、今回も同じ思いだった。でも、だいたい、そんなものであろうと思って
いたから、ひどくショックは受けなかった。
それよりも、自分の進歩のなさに、或いは、いつも同じことを書いていることを
より感じた。
▼それと、このミクシイの日記では「コメント」というのがあって
その繋がりのことを思ったりした。
あまり出歩くことがなくなったが、はじめの頃は、よくあちこち訪問している。
そんな、もう相互に訪問しなくなったマイミクさんのことを思ったりした。
▼また、自分で書いたことで、最近はあまり、そんなことを思わなくなっている事柄の
ことにも気づいた。
また、どこに書いたか忘れていたことが、突然、こんなところに
こんな関連で書いている、ということも発見した。
▼「楽に生きる」、これは私のテーマのひとつであった。
どこかに、そんなことを書いたような気がしていたが、その言葉で検索しても、
見つからなかった。
もとの職場の顧問のふたりの先生に、私が言われた言葉だ。
それが今回、見つかった。(
2007年03月24日)
「人生は長い。まだまだ長い。でも六十歳になり、人生には
定年が来る。それまでは辛抱だよ。あとは、のんびりするよ」
▼日記を読み返しながら思ったことの一番大きかったことは、この言葉が
いま、現実のものになっていることだ。
私の思い、考えることなど、ほんの地表から30センチ跳び上がるくらいが
せいぜいで、身の回りの事しか思いは及ばない。しかも、そんなところで
齷齪としている。
でも、はっきりと自覚したのは、もう夢は叶っている・・、ということだった。
人生隠居暮らし。そういう身分に自分がなっていることに実感として気づかされた
ということだ。
▼子や孫や、そしてマイミクの方を思うと、どう言ったらいいのだろう、
やはり私が二人の先生に言われた言葉を繰り返すしかない。
「人生は長い。まだまだ長い。でも六十歳になり、人生には
定年が来る。それまでは辛抱だよ。あとは、のんびりするよ」
▼野末陳平『らくに生きる名言』、もがいているとき、読んだ「本」だと思う。
中国の古典から名句、名言を引用し、著者がいかにその言葉に慰められたか
書いた「本」である。
いま読めば、もがいているときとは、また別の、しみじみとした味わいのあることが
分かる。
哀哀たる父母、われを生みて苦労す (詩経)
●日記「
総目次」
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