ニール・ヤングのライブを聴いていると、思わず胸が詰まってしまう瞬間がある。
ニールの音楽というのは、基本的にシンプルなバンド編成で成立するので、弾き語りだけでも十分に真価を発揮してしまう。
くわえて曲自体が素晴らしいので、下手な演奏でもそれなりに聴かせるものになる。その証拠に、他のアーティストがカバーしたニールの曲を聴いても(ニールはとにかくカバーされやすい)、僕の経験では「ハズレ」に出くわすことが少なかったように思える。
ただし、ニール作品のすべてがライブ録音でも同じように素晴らしいかといったら、そういうわけでもない。『アフター・ザ・ゴール・ドラッシュ』に収録された楽曲に関しては、なぜかオリジナルで聴いた方が「胸が詰まってしまう瞬間」が多く訪れる。
どこまでも
悲しげに響くハイトーン・ボイスに然り、コンパクトに凝縮された緊密なバンド演奏に然り。あのディスクが捉えているサウンドには、ある種のマジックが存在しているように感じられる。
あるいは、これは自分のために作られた歌なんだと、そう錯覚せずにはいられない親密な空気がある。寝る前にこのアルバムを聴いてしまうと、まるでニールが耳元で囁きかけてくるようで、よもや背筋が冷たくなってしまうほどである。(興味がある人は、ぜひ試してみて下さい)
もともと同作は、ニール自身のパーソナルな動機に基づいて制作されたアルバムだった。したがって、オーディエンスの拍手や、熱狂的な歓声など、ノイズが入りこんでしまう
ライブ録音では、「自分のための歌」だと錯覚しづらくなるのかもしれない。
これはあくまでニールの私小説的作品であり、ベッドルームに籠もって独り孤独を噛みしめるためのアルバムなのだ。
とりわけ、タイトル・トラックの“アフター・ザ・ゴール・ドラッシュ”は、孤独に浸りたいときにはおあつらえむきの楽曲だ。
リリックの内容は、ロックが世界を変えるという幻想が終焉を迎えつつあった70年という時代の空気を、1848年のアメリカ西部で起こった金の採掘者の殺到(Gold Rush)の終わりの空気にダブらせて、その虚しさを切々と歌い上げたもの。
正直に言って、ニールの歌詞は抽象的かつ難解なので、詳しいところは僕も理解はできてない。だがそんな曖昧な言葉よりも、美しすぎるメロディと歌声の方が、より時代のムードを言い尽くしているような気がする。
ニールの膨大なカタログのなかでも、極めて美しい光を放つ珠玉の名曲です。
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