■とりとめもなく
●きょうはヘンな天気だ。
日中、いっとき、五月のまぶしい陽光が降り注いでいたと
思ったら、午後からは一変して、春の嵐か、初冬の木枯らしか、
を思わせるような突風が吹いている。
あしたは、団地の掃除がある。
風はまだ、吹き止まない。
●短い一日だったが、思うことはいろいろあった。
きのうの日記は、はじめ「家庭の幸福」というタイトルだったが、
そこまで書き及ばず、長男のことを書いて、「整理・整頓」と
ということになった。
吉本隆明「家族のゆくえ」は太宰治の「家庭の幸福は諸悪のもと」
という「ことば」から、書き始められている。
この太宰の逆説を、私も覚えていて、へぇー、21歳も年上の
吉本隆明が、私と同じように青春期に太宰の「家庭の幸福」を
読み、そして同じこの「ことば」を覚えているというか、
反芻し続けていることに、一種の感慨が沸いてきた。
高見順が、白樺派の武者小路実篤を、やはり少年期から青年期に
さしかかる時期に読んでいて、そのことを知ったとき覚えた
驚き(なーんだ、同じものを読んでいる)、と同じものと
もうひとつ、「実篤」でなく「太宰」ということで起きてくる
感慨もあった。
●太宰の「ことば」は、いくつも覚えている。
この「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」のほか、
「晩年」に収められた、「葉」の中の「ことば」
「秋まで生き残されている蚊を哀蚊(あわれが)と言うのじゃ。
蚊燻(かいぶ)しは焚(た)かぬもの。
不憫(ふびん)の故にな」や
「花きちがいの大工がいる。邪魔だ」を
覚えている。
また、「人間失格」の、竹一が背中をつついて低い声で囁いた
「ワザ、ワザ」や
また、堀木に言おうとして、ひっこめた
「世間というのは、君じゃないか」
という「ことば」を覚えている。
●東奥年鑑より引かれた、「津軽」の表紙裏の
こな雪
つぶ雪
わた雪
みづ雪
かた雪
ざらめ雪
こほり雪
「お伽草子」の中の「カチカチ山」、狸のセリフ
「惚れたが悪いか」
いまでは、もうあまり反芻しない「ことば」もあるが、
これらの「ことば」は、それぞれ私のある時期の、私の
問題を照らす「ことば」だった。
そして、敗戦直後の焼け跡の混乱期、徴用の工科系学生くずれ
といった心身のデカダンス状況にあった吉本隆明にとっても
この「家庭の幸福は諸悪のもと」が、同じように、問題を照らす
「ことば」なのだった。
●そのような、書き出し、あるいは「想起」から
私は、「家庭の幸福」を書いた「太宰治」と、「毒もみの好きな
署長さん」を書いた「宮沢賢治」
(手元に本がない。「宮沢賢治全集」は売ってしまった)
は、案外、近い距離にいるのではないか、
そんなことを書こうとしていた。
●また、「想起」は「想起」を呼び、学生時代の1回生のとき、
私は、鈴木照雄先生の「倫理学」を受講し、その年度末試験で
「太宰治と宮沢賢治」をとりあげ、その「近さ」について書いた
ことを思い出した。
大学の試験で、いくつかの「優」をもらったが、めったに「優」を
出さない鈴木先生から、この「太宰治と宮沢賢治」で「優」を
もらった。
うれしかった、と同時に、自信のあった「優」だ。
●「鈴木照雄」教授からは、ギリシヤ語の「エペーメロス」と
「アメーカノス」という「ことば」を習った。
どちらも、「はかなさ」という意味ではあるが、
「オデュッセイア」では、「エペーメリオス」という言葉が
人間の性質をあらわすものとして、使われ、
「一日の生の」(つまり、「つかのまの命の、はかない」)
という意味で、これが「エペーメロス」である。
人間は、「幸福よりも不幸のほうが二倍も多い」この世に、
かげろうのような生を生きる。
(田中美知太郎/鈴木照雄/加来彰俊「
ギリシアの詩と哲学」
平凡社版 思想の歴史 全12巻の第一巻)
●人の「想起」は終わることを知らない。
次から次に、思い起こされることがある。
西神中央まで行き、まえの会社に「健康保険証カード」を
返してきた。
組合健康保険の「資格喪失証明」と「離職票」が届くまで
私は、「国民皆保険」の埒外にある。
また、新聞では「三重・社会保険事務所」が「納付率」アップの
ために年金保険料の無断免除のことが報じられているが、
反対に、「給付率」カットのための「年金支給停止」のことは
まだ、問題になっていない。
私は、前回、「須磨社会保険事務所」に行った折、これに噛みついた。
今回も、「離職票」をハローワークに届けると、おそらく
社会保険庁は、私が「雇用保険」からの給付を一切受けなくても
「雇用保険」と「年金」の二重支給を、事前に防止するという
名目で、私の年金をストップさせるのだろう。
●西神中央の、働いていたときは、いつも寄っていた喫茶店に入り、
網野善彦「日本中世に何が起きたか」/洋泉社
を、読む。
・「日本は<島国>か」
この問題提起は大きい。古代、この日本に住んでいたのは
はたして「民族」と呼べるものか。
海は、外と隔てるものではなく、
外とつながるために、交流の海としてあった。
常識を疑わねばならない。
●長男が、一泊して博多に帰っていった。
D.H.ロレンス「息子と恋人」
なども、思い出していた。
●コミュニテイ「時代とは人々の連なりのこと」には、
・「shohoji」さん
・「アキ」さん
を書き込んだ。
・「
新しく、あるいは、何回も」
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